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鮮魚コンサルタントが毎月更新する魚の知識と技術のホームページ
令和 2年 7月号 199
グルクン刺身姿造り
南の島、沖縄
6月になり3ヶ月ぶりの沖縄を訪問した。2008年の春から足かけ13年の間、毎月欠かさず訪問してきた筆者の沖縄での仕事も、新型コロナウイルスの非常事態宣言によって、4月と5月の2ヶ月は中止となっていた。
久しぶりに梅雨が明けた沖縄を訪問して思ったのは、やはり沖縄は夏が一番良い季節だということだった。特に7月8月は本土の気温が35℃から40℃の酷暑に見舞われることが多いのに比較して、沖縄は40℃近くになることはあまりなくて本土との気温差はほぼなく、島特有の海風が肌に心地よく、ずっと北にある本土の内陸の夏より、南の沖縄の方が過ごしやすいと感じる。
逆に沖縄の季節で過ごしにくいと感じるのは春ではないかと思う。沖縄の春はどんよりと曇った日が多く、気温は30℃を超えることも珍しくなく、春はまだ本土の気温が20℃以下に冷え込むこともあるような時に沖縄を訪問すると、10℃〜15℃の大きな寒暖差に晒されることになり、筆者が通常4日間滞在する沖縄から寒い本土に戻った時、大きな気温差があると体調を崩しそうになることもある。
筆者は沖縄だけでなく、奄美大島や徳之島、喜界島などの南西諸島にも、それぞれ合計すると10年ほど仕事で訪問していたが、今は南西諸島での仕事はなくなっている。つまり、沖縄と南西諸島で延べ22年間も魚のコンサルタントとして仕事をしてきたので、本土に住んでいる人間とすると、誰にも負けないくらい南の海に棲息する多くの魚を扱って来たし、同時にそれらを自分の舌で味わってきたと自負している。
ところが、南の海には非常に数多くの種類の魚が棲息していて、これだけ長く南の海の魚に接する機会が多くても、まだまだ多くの魚の名前を覚えきれなくて苦労している。そして、それらはそれぞれにとても良く似た兄弟種が存在しているので、これらの違いを明確に判別できないことが多々あるのだ。
グルクン
例えば巻頭画像のグルクンである。このグルクンは沖縄ではアカジューグルクンという名前で呼ばれる(ヒラーグルクンと呼ぶ地域もある)分類としてはスズキ系スズキ目スズキ亜目タカサゴ科タカサゴ属ウメイロモドキである。
この魚を扱った時、同時に仕入れられたグルクンは以下の画像だった。
この魚はウクーグルクンと呼ばれている。スズキ系スズキ目スズキ亜目タカサゴ科クマササハナムロ属クマササハナムロである。
そして、次が本家本元のグルクン、正式和名タカサゴである。スズキ系スズキ目スズキ亜目タカサゴ科クマササハナムロ属タカサゴであり、沖縄ではカブクワーグルクンと呼ばれている。しかし、おかしなことにこのタカサゴはタカサゴ属ではなくクマササハナムロ属なのである。
筆者は最初このウクーグルクンとカブクワーグルクンとの違いさえ分からず苦労したものだが、もっと面倒なことにニセタカサゴ(同じカブクワーグルクンの名称で通じ明確に区別されていない)というのがいて、これが非常に見分けづらい。魚体を縦に走る細い測線が太めのラインと離れ、このラインが側線の下にあるのがグルクン。そして側線とラインがくっついているように見えるのがニセタカサゴということなのだが、そんなの「言うは易く、見分けるは難し」だ。
沖縄や奄美の水産関係者は直ぐ簡単にこれらを見分けるので驚いたものだ。やはり、しっかり見分けるには系統的に特徴を掴んで区別しなければならないが、琉球大学大学院理工学研究科の佐久本孟寿氏が沖縄県海洋技術センター資料に執筆されたグルクン(タカサゴ科)の分類は以下のようにされている。
この資料によると、グルクンの仲間は4属10種がいて、比較的小さな魚であり大きくてもせいぜい30pまでしかならない。寿命は比較的長く15年ほどあり、なかには30年生きるものもいるとのことである。産卵期は初夏から夏であり、まさに今の時期にグルクンが多く漁獲されているようである。
上画像はネットに発表されている資料だが、以下の画像はラミネートされた資料を譲り受けたもので、これを筆者がカメラで撮影し、グルクンを見分けるために自分の資料として編集したものである。
沖縄の魚の本
上のラミネートされた資料とは、以下のA3サイズに両面コピーされたものであり、合計25ページ分に掲載された魚の数はあまりにも多すぎてカウントしていない。
この資料を作成されたのは沖縄に在住されていた三浦信男氏である。過去形なのは2017年10月に享年70歳で永眠された方だからである。
筆者は2008年に沖縄に行き始めた頃、足繁く知念市場に顔を出していたが、筆者と同じようにカメラを抱えて、知念市場に水揚げされ床に転がされている魚たちを熱心に撮影している人がいて、この人は何のために魚を撮影しているのだろうとの素朴な疑問を抱いていた。
後になって分かったのだが、魚を熱心に撮っていた人は元沖縄水産高校の先生だった三浦信男氏であり、以下の「知念市場の魚たち」という本を出版するためだったようだ。
2012年1月にカラー版1,300円で発刊されたようで、4年の歳月をかけて販売に漕ぎ着けたとのことだ。まさに2008年からの4年間は筆者と知念市場で度々顔を合わせていた時期と重なり、今思えば撮影と編集に精を出されていた頃なのだろうと推測されるが、今はネットで探してもこの本は手に入らない。
知念魚市場には約600種類ほどの魚が水揚げされるということであり、三浦信男氏はこのような知念市場の魚の多様性に魅せられて、これらを本としてまとめたいと思われたのではないだろうか。
グルクンの刺身商品化
沖縄の魚の多様性に魅せられたのは筆者も同じなのだが、筆者は今もその多様性の幅広さに頭の整理が追いついていっていない。沖縄と南西諸島での延べ22年間で本当に数え切れないほどたくさんの魚に触れて来たという自負はある、しかし何しろ沖縄の県魚とされるグルクンでさえ、入荷した店の現場でその魚を目の当たりにして、その時もう一つ明確な区別を仕切れないでいるレベルであり、最後は店の担当者に確認して判った振りをするのが落ちなのである。
もし、ウクーグルクンを店の担当者にグルクンだと言われてもまだ言い返すほどの自信はなく、ハイそうですかと引き下がるかもしれない。何しろ現地ではウクーグルクンもグルクンの名称で通用するのだ・・・。巻頭画像のアカジューグルクンは同じ沖縄でもヒラーグルクンと呼ぶ地域もあるみたいであり、一体どっちが沖縄での正しい名称なのだと言いたくなるので、簡単に「グルクン刺身姿造り」としている。
以下にウメイロモドキを使った刺身姿造りの工程を紹介しよう。
グルクン刺身姿造りの商品化工程 | |
1、ウロコを除去し三枚におろした皮付きの半身を湯霜にする。 | 5,均等な長さ、厚さになるよう平造りにする。 |
2,お湯で身の温度を高めないように、砕氷で裏表を包み冷やし込む。 | 6,皮をひいた半身を別に用意する。 |
3,湯霜をした皮に縦に二本飾り包丁を入れる。 | 7、皮なしの身を平造りにする。 |
4,飾り包丁をした状態。 | 8,頭部がつながった中骨を据えて、姿造りの台を整える。 |
湯霜平造りと皮なし平造りを一緒に盛りつけたグルクン刺身姿造り |
自粛は辟易
6月は筆者の仕事も1社を除きほぼ元通りに仕事が出来ることになったが、1社だけしか仕事がなかった4月と5月は1ヶ月という期間が非常に長く感じた。ところが6月はまさにアッという間に過ぎてしまった。4月5月の2ヶ月間、決して暇を持て余していたわけではなくて、自分なりの課題としてやることがあり、非常に充実した日々ではあったのだが、何故か1ヶ月が非常に長く感じたのはたぶん同じようなことを毎日繰り返していたからではないかと思っている。
同じようなことを繰り返すと言っても、歯車のような繰り返しではなく、次の課題への小さな変化は必ずあって、その課題を乗り越えるための行動も少なからず変化していたけれど、そこは自分だけの限られた小さな世界でのことであって、そこには「社会」という概念が存在していなかった。
テレビ・新聞やネットなどで世の中がどうなっているのかを多少伺い知ることは出来ても、自らの行動による社会との接点が限られていることから、毎日限られた閉鎖空間の中で同じ事を繰り返す堂々巡りのような感覚に陥っていたようである。
6月に入って3ヶ月ぶりに関係先へ顔を出すと、以前の変わらぬ顔ぶれを見るだけでも懐かしく、自分の気持ちとしては「再び社会に戻ってこられた」という風に感じたのだった。やはり人間は、限られた閉鎖空間に身を置いて社会との接点が断ち切られていると、時間がやたら長く感じるし、行動の変化による刺激もなくなり、前向きな発想も浮かばず、たぶん人間の脳も萎縮してしまうのではないかと思われる。
新型コロナウイルスによる非常事態宣言によって世界の動きが大きく変わってしまったけれども、これまでのように行動の自粛によって人々の動きが止まってしまったら、お金は回らず経済活動は停滞し錆び付いてしまうに違いない。世の中は生活する人々が活発に行動し、生産し、消費することによって富が生じ、経済は回っていくものであろう。
もう自粛は辟易である。多少とも富を蓄えている人は、そろそろ消費を活発におこなって自粛による経済的な打撃を受けた人達にもお金が回るようにしていく時期に来ているのではないかと考える。例えば飲食業、宿泊業、航空運輸業などは大打撃を受けて瀕死の状態のようだが、その典型的な地域の一つが沖縄である。沖縄は日本だけではなく、世界中から人々を呼び込んで成り立つ観光立県であり、観光を基盤とする経済が大きな柱となってきたはずである。
「沖縄に来ないで・・・」という県知事さんの言葉はそろそろ撤回し、以前のように那覇市の国際通りに観光客が溢れかえるようにしていくべきではないだろうか。6月時点では久茂地の飲食店街も半分以上がまだ店を閉じたままであり、いつになったら以前のような活気が戻るのか心配な限りである。
沖縄に魚を食べに来て・・・
沖縄県知事さんの言葉を逆手にとって「沖縄に魚を食べに来て・・・」と最後に記しておきたい。
今年2月までの沖縄は日本国中からの観光客だけではなく、中国からのクルーズ船などの立ち寄りも多く、外国の人達も含めた観光客の消費が沖縄の経済を勢いよくしていたようだが、今後当分の間外国からの観光客はほとんど期待できないと予想される。そういう状況の中で、6月24日現在の新型コロナウイルス感染者数は1万人当たりでアメリカが72人、ブラジル56人、スペイン53人であることと比較して、日本では僅か1.4人であり、世界の中ではウイルス拡散の封じ込めにある程度成功していると言える。だから、ウイルス感染リスクの少ない観光客として一番期待できるのは日本国内からだと考えられる。
沖縄県は5月1日以降の新規感染はゼロを続けていて、現時点での県としての封じ込め対策は成功していると見るべきであり、この観点からもそろそろ観光客を呼び込むことを決意しても良いのではないかと思われる。
沖縄県では、6月5日に沖縄県民向けに「おきなわ彩発見キャンペーン」を開始して、予算の5億円を6月中に早々と使い切る勢いのようだが、これで本当に沖縄の観光産業が浮かばれると考えているのだろうか。やはり大事なのは、県外からの観光客を呼び込み、沖縄でお金を落としてもらうようにしなければ効果は限られるのではないかと思う。
例えば「沖縄に魚を食べに来てキャンペーン」のような企画を県外向けに発信し、沖縄で魚料理を食べることを条件に旅行代金を補助してはどうだろう。自分ではなかなか良いアイデアだと思うのだが、読者の皆さんはどう思われるだろうか。沖縄県の偉い人がこのホームページを覗いてくれて「面白い!」と、拳を打って賛同してくれないだろうかな・・・?
この企画なら、沖縄の水産業界は大賛成してくれるはずだし、飲食業界も同じだろうし、観光業界もたぶん賛成してくれるに違いない。
筆者は13年もの長い間毎月沖縄に通い続け、今回2ヶ月間ポッカリと穴が空いたことによって、沖縄を第二の故郷のように親しみを感じている自分を改めて認識することになった。何と言っても、沖縄には12年間で培った親しく濃厚な人間関係が存在している。そのことがこのような感情に大きく影響していると思われる。
そんな親しい人達がこれからも変わらず沖縄で生活していくために、沖縄の経済は観光業を核としてこれからも元気でいてもらわなければならないのである。
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水産コンサルタント樋口知康が月に一度更新している
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更新日時 令和 2年 7月 1日