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平成28年 11月号 155-2
上海魚料理
上海1号
いよいよ上海蟹を食べる時が来た。上海MKが勧めてくれたホテルから歩いて直ぐの上海1号私蔵菜(戸湾店)に17時過ぎに入店した。
店内は豪華で一流の店であることが理解できた。
メニュー冊子も立派であり、どれをどう注文したら良いのか迷ったが、まずは上海蟹の丸ごと蒸したのを選んだ。大きさは一種類しかなく価格も140元ということで、何の迷いもなくオーダーした。
そして別の魚料理として、桂魚に松笠のように飛び出した衣をつけて、これを丸ごと揚げて甘酢をつけたソンシューグイユイ(松鼠桂魚)という料理を選んだ。
中国で魚はユイと発音するのだが、これは沖縄でもまったく同じくユイと呼ぶので、昔の琉球国家は中国圏と文化を共通するものがあったことを推測させることになった。
最初に運ばれて来た ソンシューグイユイ(松鼠桂魚)157元
これは飛び出した松笠のような衣は面白いけれども、肝心の魚の身はどこにあるのか分からないほど少なくて、何だか衣ばかりを食べているような感じがして、すべてを食べてしまうことはできなかった。
そして、その料理から随分と遅れてやって来たのが、今回の最大のテーマである上海蟹だ。
「大閘蟹」(ダアジャアシエ) 蒸した上海蟹 140元
この上海蟹の大きさを見て、思わず「ちいチャッ・・・」と唸ってしまった。
筆者としては、ワタリガニの大人くらいの大きさだろうと想像していたら、大人の拳ほどの大きさしかなくて、大きな期待外れとなった。
救いはメスなので卵巣が画像のようにタップリあったことだった。
こんな大きさの上海蟹しか揃えていない店を選んだのが失敗だったかもしれないと、勧めてくれた上海MKを恨むことになり、この日の最終的な仕上げとしては悔いが残ることになった。
そこで、こんな悔いを残したまま日本には帰れないとの思いから、翌日上海蟹リベンジをすることにした。
リベンジ
今度はネットで調べ、ガイド本をめくり、自分の力で探すことにして、あとで悔いを残さないように選んだ店は「成隆行蟹王府」の九江店だった。この店は自前の養殖場を持っているとのことで、日本人も多くて評判も良い蟹料理専門店とのことだったのでここに決定した。
終日雨だった翌日夕方、この日も一番乗りのつもりで開店17時前に行ったところ、雨を避けて既に10人以上の人が店のホールにたむろしていた。そこにはガイド付きで定年退職後の中国旅行を楽しんでいるらしい三組みの日本人夫婦たちが、日本語しかも九州弁を話しているのを耳にして何だか懐かしい思いをすることになった。筆者も一昨年までは毎年妻を連れて年に一度の海外旅行を楽しんでいたのだが、卒寿を迎えた妻の父が体調を崩し、救急車で運ばれ入院するというのをこのところ何度か繰り返していて心配なため、昨年に続いて今年もまた妻を日本に残すことになった海外旅行は心残りと申し訳ない気持ちがあった。
その店には日本人達だけではなく、欧米人、韓国人、中国人が開店前から十何人ほども詰め掛けて来ているのを見て、ここであれば間違いはないはずだと確信することになった。
店内に入ると、店内は吹き抜けになった1階と2階があり、舞台もあって楽器演奏もできるようになって良い雰囲気だった。
筆者は一人客のために丸テーブルで他の客と相席となり、韓国人女性1人、中国人母娘2人組、それに中国人親子3人組の合計7人で食卓を囲むことになり、他の3組6人は早々とコース料理を選んで注文していたのだが、筆者は今度こそ失敗をしないぞという思いでじっくりメニューと睨めっこをした。
メインの上海蟹はもちろん単品で選ぶことにして、ホールスタッフが示した上海蟹の大きさ5段階のうちの中間にあたる388元の大きさを選ぶことにした。388元というのは随分と高い気がしたけれども、前日140元で大きな不満を感じていたので、思い切って満足感を買うことにしたのだった。スタッフはメスでなくオスであれば、もっとより大きいとオスの方を勧めてきたが、それはもちろん断ってメスにした。
コース料理ではなく単品で選んだ筆者にだけは、事前にこれが今から蒸しにする上海蟹だと持ってきて、以下の画像のものを見せてくれた。
輸送中に動き回ると鋏で傷つけあったり足が取れたりするため、こうして藁で十文字に縛っている。
同じテーブルのコース料理で上海蟹を事前に見せてくれない他のお客達は、これを見て「ほーッ・・・」と喜んでいたようだが、筆者はまったく逆に「なんだ、こんな程度の大きさなのか・・・!」とガッカリしたのだった。
そして蒸しを終えた上海蟹を見て、さらに落胆をした。
昨晩のものと大きさがどれだけ違うのだ! 約3倍近い388元の価格のものがこんな大きさ?・・・
上海蟹は小さい。後で分かったのだが標準的なものでも200g〜250g、体長6〜7cmほどなのだ。手のひらに収まる程度が平均的な大きさなのである。
そしてやっと納得した。上海蟹とはせいぜいこんな大きさにしかならないものなのであり、もともと大きいものを求めようとすることに無理があることを、前日とこの日にかけて自分で行動し体験してみてやっと身体で理解したのだった。
前日、上海MKが勧めてくれた上海1号私蔵菜(戸湾店)は、ほとんど地元客ばかりで観光客が少ないと感じていたが、逆に地元客は少なくて観光客ばかりを相手にしている「成隆行蟹王府」九江店よりも、実はずっと良心的であり、そこの上海蟹の方がコストパフォーマンスは高かったようだった。
この日大人の拳ほどの大きさの上海蟹1匹に対して日本円にして5,800円もの大金を出し、食べる部分は赤い卵巣部と黄色い中腸腺部、そしてほんの少しの白い肩肉だけで、脚は食べようとしても小さすぎて食べるところはない、そんな上海蟹とは非常にコストパフォーマンスの悪い、なんとも贅沢な食べ物なのだということがやっと分かった。
中国において上海蟹は男のロマンを掻き立てるようなものを持っているようである。非常に高級な食べ物なのでそれほど気軽に食べられるものではなく、中国の男性にとって「いつかは上海蟹を思う存分食べることのできる身分になってみたい」と思うような存在であり、日本に置き換えて言えば「いつかは料亭で思う存分フグを食って見たい」と憧れるのと似たようなものらしい。
そんな上海蟹は蒸してそのものだけを食べるのではなく、これを利用して下の画像のように様々な料理にすることで初めてその価値を高めることができるようである。
清蒸蟹柑125元 蟹粉豆腐48元 蟹粉撈飯32元
上海蟹
そもそも上海蟹とは何ぞや、ということを筆者は何も知らず、その大きさなどを調べもせず、行き当たりばったりで上海に来たので、言わば身体を張ってそれを理解することになったのだが、それを身体ではなく頭でも以下に整理してみよう。
英名Chinese mitten crab(mitten とは爪がミット型手袋を連想させることからの由来)は、中国および朝鮮半島東岸部原産のイワガニ科のカニの一種で、昔日本ではシナモクズガニと呼んでいた。
中国の長江流域を中心に遼寧省から広東省までの広い地域に分布し、朝鮮半島にも分布する。
淡水性だが幼生は海水から汽水域で育つため、親蟹は雄、雌とも産卵のために河口や海岸に移動する必要があり、秋になると河口で生殖した後に雌が海水域に移動して産卵し、0.4mm足らずの小さな卵を腹脚にたくさん抱えて孵化するまで保護する。孵化した幼生を海に放出すると、さらに冬に2〜3回交尾と産卵を繰り返したあと、疲弊して死亡するため二度と川には戻らない。
上海蟹は侵略的外来種として古くから有名であり、世界の侵略的外来種ワースト100のうちの1種にも選定されている。広範囲に分布を拡げながら在来の淡水性カニを駆逐する生命力を持っていることから、アメリカ合衆国では拡散を防ぐために一切の商取引が禁止されている。上海蟹が瞬く間に分布を拡散することが出来るのは、陸上を移動して他の水系へ侵入する能力があるからとされている。
日本でも2005年12月に外来生物法に基づく特定外来生物に指定され、生きた個体の日本国内への持ち込みは厳しく規制されているが、日本国内ですでに食用として中国から輸入された生きた個体が流通しており、山形県や秋田県等では養殖も行われているようだ。
日本のモクズガニ(学名Eriocheir japonica、英名Japanese Mitten Crabs )が近縁種といわれているが、モクズガニ(ツガニ、ズガニ)と上海蟹は異種なのか同種なのか未だに議論されている。どちらかが地域多様化したともいわれ、亜種といわれるほどの差異もないため、Mitten Crabsといえば上海ガニ(Chinese Mitten Crabs)を指し、ほとんどの学者が上海蟹とモクズガニを同一のものとしているようだ。
さて、そろそろ今月号も締めくくりに入るとしよう。
中国という国には以前から興味があったけれども、特に自分の仕事の用があるわけでもないのでズルズルとこれまで訪問する機会を逃して来ていた。
今回は同行することのできなかった妻が、絶対に旅行先として行く気持ちにはならない国の一つだと以前から明言していた中国を敢えて選んだのだった。昨年の韓国行きも同じ理由だった。
筆者自身も日本と中国との間の決して良好とは言えない政治的関係や、双方の国民の反感的感情などもあって、気持ち的に多少躊躇するものもなくはなかったけれど、やはり事実を知るのに自分の体験に勝るものはないとの思いがあり、妻を伴わない単独旅行の訪問国としては中国が最適だと判断したのだった。
そしてもう一つ、そのような判断の裏には丁度浅田次郎の「蒼穹の昴」を読み終えたばかりのタイミングであり、小説の舞台の北京や天津と場所は違うものの上海は同じ中国に変わりなく、どうしても中国を一度見て見たいとの気持ちが高ぶっていたのだった。
今回はほんの4日間だから、表面的なだけに終わり何も分かったとは言えないかもしれないが、行く前と行ってからではそのイメージはだいぶ変わったような気がする。
上海を一人で行動したなかで、今月号の紙面ではとても書ききれないほど多くの体験をしたのだが、やはり何と言っても一番困ったのは英語がまったく通用しないことだった。外国へ行って日本語が通用しないのは当たり前のことなので何ら驚くことはないけれど、中国では本当に何処に行っても、どうしてこんなに英語が通用しないのかというのが大きな驚きだった。
この事実が意味するのは、やはり中国社会は非常に限定された「中国語の範囲内で考えたり行動したりしている」ことを示しており、しかも外国の情報は国の統制によってコントロールされているので、社会は外国のことを知る機会がほとんどない閉鎖社会のなかに未だに据え置かれているという現実である。
大清国時代までの宮廷と民衆との間の格差社会から今の中華人民共和国になって以降、人民の衣食住の基本生活レベルは格段に向上してきたものの、王国時代まで長く遮断されてきた一般庶民の人々の「文化」面の向上は、衣食住が足りつつあると感じられる、これから始まっていくのではないかと思われる。
その閉鎖性を破るのは「ネット」なのか、それともこのところ旺盛な「国外旅行」なのか、中国はまさにこれから文化的発展の端緒を迎えるのではないかという気がする。
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更新日時 平成28年 11月1日