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エツ刺身姿造り
今月号は全国的にほとんど知られていないけれども、ある地方の一部においてはとても良く知られており、この6月が旬の真っ盛りであり、ちょっとマイナーな魚を紹介しよう。
その旬の時期が来ると各メディアの情報発信によって良く耳にするようになるけれども、実際にはその地域の人がその魚を食べる機会は多くなく、もっぱら観光客相手の名物料理となっているのが実態の魚だ。
その魚の名は「エツ」である。
この画像がエツであるが、この包丁の刃のような形状から別名で「刃形魚」とも呼ばれている。
分類としては、ニシン上目ニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科エツ属に属し、カタクチイワシとは兄弟のようなものなのだが、その価格は1尾が何十円という価格レベルのカタクチイワシとは比べものにならないほどの価格で取引され、上の画像はエツが水揚げされる地元の魚屋さんで購入したものだが3尾合計で2,000円もしたのだ。
その地元の魚屋さんとは、福岡県を流れる大河筑後川の流域に位置する福岡県大川市にある個人の魚屋さんであり、その横にある新美勢本店という寿司屋さんで5月の初旬にエツ料理を食べる機会があって、帰り際その店に立ち寄りこれらを購入したのである。
エツ漁は5月に解禁となって7月迄の約3ヶ月の期間だけ漁獲が許されることから、エツ料理を楽しめるのも基本的にはこの期間だけの季節商品となる。
エツは3月頃から産卵のために川を遡上し始め、産まれた稚魚は10月頃まで塩分の薄い汽水域で過ごし、冬になると深場の海水域へと移動してから2〜4年ほどで成熟し、春になると川へと戻って産卵を終えるとその一生も終了を迎えるということだ。
産卵のために川を遡上するとは言っても、日本では今やエツの遡上は筑後川やその近辺の河川に限られてしまったようで、他の地域ではほとんど見ることの出来ない地域特産の希少魚種となっており、その希少さから環境省の絶滅危惧U類に指定されている。
福岡県のエツ流し刺網漁業者による報告資料によると、1975年に140tほどの年間漁獲量があり、それ以降は100t台を上下していたけれども、筑後大堰が稼働し始めた1985年以後は一気に40t前後へと激減し、特に1995年は約20tしか獲れなくなった。
筑後大堰は水位調節のために施設の一部が動く可動堰で、筑後川の治水及び福岡市に水を供給する利水目的で多目的ダムの扱いを受けているが、特に水不足に悩む福岡市の水甕の一つとして作られた意味が大きく、建設時にはダムと環境の問題を巡って漁業協同組合との軋轢があり、有明海のノリ養殖の不漁の一因とされていただけでなく、エツ漁にも大きな影響を与えていたようなのである。
筑後川を挟む形の佐賀県側の方では、1997~2004年まで年に30〜40dの水揚げがあったがその後は急激に減少しており、2008年以降10トン以下の1桁台の漁獲が続いているとのことだ。
エツはカタクチイワシ科に属することから分かるように、片口鰯と同じように非常に鮮度落ちが早く、上画像のエツ3尾の内2尾は当日水揚げで時間は半日も経っていないのに、片口鰯が鮮度劣化する時と同じような「目の周りが赤くなる」という現象が既にでてきているである。
またエツが属するニシン目の魚達に共通に見られる「小骨が多い身質」という特徴がエツにもあり、この小骨の多さがこの魚を食するうえで難しさの一つとなっている。
だからエツを刺身で食べるとなると、小骨が多い身を鮮度が良い内に薄く骨切りする作業が必要となる。
エツ刺身の商品化方法 | |
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1,頭部を切落とす | 6,左逆手包丁で中骨を除去 |
2,内臓を出して水洗い | 7,中骨を除去した状態 |
3,背ビレを除去 | 8,尻ビレと腹骨除去 |
4,下身の尻ビレから開く | 9,下身の腹骨除去 |
5,腹開きにした状態 | 10、薄く骨切りをする |
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エツ料理は基本的にすべてこのような「小骨切り作業」が必要となるので、料理にはこの小骨切りをしたという特徴が姿形として出てくることになる。
例えば下の塩焼きと煮付けの画像は福岡県大川市の新美勢本店という寿司屋さんで出されているエツ料理なのだが、よく見たら判るようにエツの魚体表面には無数の飾り包丁のような切り口が見えるけれども、これは単なる飾りではなく魚体の表面から骨切りをした切り跡なのである。
塩焼き
煮付け
エツ料理らしい切り口が明らかなのは下の画像の唐揚げでも同じで、新美勢本店ではこの他に色々なエツ料理を賞味出来るので以下に画像で紹介しよう。
その他エツ料理各種(福岡県大川市の新美勢本店の料理) | |
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天ぷら | 唐揚げ |
刺 身 | 南蛮漬け |
押し鮨 |
このようにエツは色々な料理になるのだが、やはり小骨の多さはそのまま食べにくさにもつながり、煮付けなど食べ始めるとヒレ際などに残っている小骨を黙々と除去しながら食べるということになり、料理によってはカニ料理で殻から身を外す時のように静かな食事風景となった。
エツ料理の味は小骨が多いというデメリットはあるものの決して不味い魚ではなく、どちらかと言えば「味わいのある魚」と評価することが出来ると感じた。
特に生の刺身は「背越し」が好きな人であれば、チョットだけゴツゴツとした歯応えの特徴を同じように味わうことが出来るのでお勧めである。
また煮付けはボロボロと身崩れするので食べにくく、逆に塩焼きは身崩れがしにくく、一固まりを箸で掴みやすいので意外に食べやすく感じた。
エツという魚は、日本の地方でも狭く限定された地域で、しかもある一定の限られた期間しか食されないマイナーな魚の代表格であり、今やその人気で世界を席巻する勢いのあるメジャー級のサーモンなどとはまったく対極に位置する魚である。
サーモンの需要は世界的に衰えを見せることなく、アトランサーモンやトラウトサーモンなどは養殖生産が堅調にもかかわらず、その取り引き相場はこのところ高価格を維持し続けているいっぽうで、エツのようなマイナーな天然魚は漁獲される地方産地以外の魚小売関係者から一顧だにされず、ほぼ観光客相手としての特殊な魚として位置づけられている事実がある。
水資源の有効活用の目的で筑後大堰という多目的ダムがつくられ、その経済合理性が海の生態系に大きく影響を及ぼし、有明海特産の海苔の生産不安定要因とも考えられているだけでなく、多獲性魚種の一つであるカタクチイワシ科に属するエツもその存続を危ぶまれるほどの希少生物となって、その価格が高騰することになっているのである。
エツ料理が食べられる新美勢本店のメニューでは、一番安いエツ定食が2,160円から頼めるのだが、やはり一人前で5,000円くらいは覚悟しないと内容として満足のいくものではないと感じる。
言わば「イワシ料理」で5,000円なのだから、やはり安い料理だとは言えない。
本来エツという魚はカタクチイワシ科に属するだけに、多獲性魚種の一種としてかつては捨てるくらいに獲れていたはずで、まさに大衆魚として安い魚の代表的存在だったに違いないのだが、それがこんなに高い魚となってしまったのは、筑後大堰のような人工物を経済的合理性の観点からの利用するために進めてきた結果生じている現象なのではないだろうか。
例えば現在同じように有明海においては、諫早湾干拓事業の潮受け堤防が1997年に閉じられ、それ以降タイラギの死滅や海苔の色落ちなどの漁業被害が出るようになり、最近は有明海産のタイラギはほとんど目にすることがなくなり、仮にあったとしても高い価格ものになってしまっているのである。
有明海は潮の干満差が3mから最大で6mもある干潟が特徴で、エツの他にヒラ、アリアケシラウオ、ヤマノカミ、コイチ、スズキ、ワラスボ、ムツゴロウ、ハゼクチ、コウライアカシタビラメ、クマサルボウ、アゲマキ、ウミタケ、 オオシャミセンガイ、ミドリシャミセンガイ、イシワケイソギンチャクなど、日本ではほぼ有明海でしか見られないような生物が多数棲息しており、将来的にこれらの魚類や貝類などがどのような運命を辿るのか一抹の不安のようなものを感じないではいられない。
筆者は地球の異常気象の原因が、専ら二酸化炭素による地球温暖化によるものだという「二酸化炭素犯人説」には一歩距離を置く考えを持っているが、筑後大堰や諫早湾潮受け堤防などの人工的大構造物が川や海の流れを変え、水棲生物の生態系に大きな影響を与えていることは間違いないと考えている。
エツという魚をアジやサバのような人気大衆魚と比肩するのは意味がないとは思うが、アジやサバさえいてくれたらマイナーな存在のこんな魚というのは別にいてもいなくても特に関係ない、と言って切り捨てるのは乱暴というものである。
魚の小売業界を振り返ってみると、これまで「アジやサバのように一般的に良く知られている魚以外のマイナーな魚というのは売れない」として、取り扱う魚種を絞り込んできた結果、魚売場が魅力を無くすことになって魚部門の売上げが上がらなくなる、という「自業自得の戦略」が自分達を苦しめてきたことを思い出すべきである。
例えば「旬のエツが品揃えされている魚売場」というのが、地元で水揚げされる産地の店では珍しくないとしても、産地から離れた遠隔地でそれが実現している魚売場があるとすれば、その魚売場の品揃えというのは大変な魅力を備えていると評価できるのではないだろうか。
これはエツに限った話ではなく「売れそうな魚を、売れそうな価格で、売れるだけ売る」といった、どこの誰でも出来る魚種を絞り込んだ魚売場がいかに魅力のないものかということに対して警鐘を鳴らしたい。
品揃えの魅力というのは「強力な差別化の武器」となるものであり、品揃えの魅力を維持していくためには「それを可能とするだけのノウハウも保持していなければならない」のである。
更新日時 平成26年 6月 1日 |
食品商業寄稿文
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