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平成29年 1月号 157
魚職不朽
魚に関係する人は必読の名著
魚に関係する職場で働く読者の皆さんを勇気づける名著「魚と日本人」(食と職の経済学)岩波新書版 北海学園大学経済学部教授 濱田武士著が昨年10月に刊行された。
筆者は発売されて間もない11月にこの本を読んで、これは魚に関係して働いている人々には是非読んで欲しい本だと感じ、このたびFISH FOOD TIMESでその要約を紹介することにした。
今回の目的は「これをキッカケにこの本に興味を持ち、興味を抱いたら実際に本を購入し(820円)、じっくりと精読して、今後仕事の糧としてもらいたい」ということである。
これからこの本の要約を紹介していきたいが、基本的に著者の文意を損なわないために、筆者が勝手に文章の書き換えるようなことはしないつもりである。その理由は文中の前後の関係を無視して筆者が文章を抜粋することになるのだから、著者が伝えたい文意とは違う解釈を筆者がすることになるかもしれないという恐れがあり、読者の方々は必ずこの本を購入して、FISH FOOD TIMESでの解説を鵜呑みにするのではなく、自分なりの解釈をしてほしいのである。
それではこれから、本の要約と解説に入っていこう。まず序章の魚食と魚職の項で以下のように記されている。
魚食は「食べる」という行為である。だが一般に「魚食」には魚を「探す」「買う」「料理する」などという行為が付随している。さらに丸魚などを買う場合は、処理や料理のあり方がいろいろあるので「教えてもらう」という行為も付随してくるといえる。ところがスーパーマーケットの鮮魚コーナーにおいては、そのようなやりとりが見られなくなっている。 昔は鮮魚店がスーパーマーケットの一角にあり、魚をめぐる会話はあったが、昨今ではそのようなスーパーマーケットは少ない。鮮魚コーナーには尾頭付きの丸魚がまれな存在になっている。鮮魚でもトレーパックに入れられた切身商材が多い。そうしないと売れないらしい。それらの商材は、刺身用、フライ用など、どうして食べたらよいのかちゃんとわかるように表示してある。便利である。聞かなくてよいし、魚を見て判断しなくてよい。 |
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そこで濱田教授は、日本の魚食文化を育んだ職能を「魚職」と名付けている。
地域経済の核となり裏方として都市の繁栄を支えてきた水産物の産地市場と消費地市場はその魚職がそこに集結しているとしているが、問題を以下のように記している。
産地市場は産地の地域経済の核となり、消費地市場は地域経済だけでなく裏方として都市の繁栄を支えてきた。卸売市場がなければ産地の発展や都市の形成や拡大はあり得なかったと言ってよい。 |
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どうしてこのように縮小していったのか、その時代背景として、
日本の就業人口は、戦後直後は第1次産業部門が半分を占めていた。だが高度経済成長を通して、一次産業から二次産業へ、そして三次産業へとシフトした。そして、その過程のなかで都市に富が集中し、そのうえ経済の自由化国際化が推し進められたことで食料供給地を国内に限らず世界に求めるようになった。 |
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こうして日本の生活者の、魚を食べようとする家計への支出(魚食)は減り続けている、としている。
魚食と魚職の再生への道筋を考えるためには、
「食」も「職」も選択は自由である。「魚食」や「魚職」が復権するには、人々が魚を好んで食べる状況をつくりだし、魚を取り扱う仕事が魅力ある仕事になるようにすることが課題となる。 しかし、失われた環境や条件を嘆いても仕方がない。魚食と魚職の復権のためには何が必要なのかを冷静に考えていかねばなるまい。そのために魚食と魚職の魅力と現伏を知り、グローバル経済のなかに埋没する食と職の哲学をまず深めていく必要がある。 |
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序章では以上のように記されている。
食べる人たち
現在に至る食の変化を見ると、戦後から「腰弁族」と呼ばれたサラリーマン世帯が増加して核家族が増加したが、時代が進むと昼食の合理化が進んでコンビニでパンやおにぎりを買って済ませるようになり、更に食の合理化が進んで買い物量が減って、家族団らんの朝食や夕食ですら「孤食」(一人で食べる)や「個食」(世帯内でも別の食べ物を個別に食べる)が多くなってきた。その結果「食」は料理する人と食べる人をつなぐ行為であるはずなのに、その社会的な広がりが「食」から消えかけている、と著者は述べている。
食生活が変貌する中で最も顕著な現象は「食の外部化」と言われ、それは単身世帯だけではなく普通の世帯でも家庭外で料理されたものを食する傾向を強め、ファミリーレストランや回転寿司などは家族のための場だけではなく、家事労働の負担を軽減する場を提供しようとするものであり、「食の外部化」のビジネスターゲットは共働き世帯や単身世帯だけではなく、高齢者世帯にも広がっている、と記されている。
そんな中で魚の消費量は急速に落ち込んでいる。
高齢化社会では、歳を重ねると肉よりも魚を嗜好する「加齢効果」があると言われていたが、今やその理論は疑問とされてきており、個食化と食の外部化が急激に進み、家庭内にストックされる食材として生鮮食品が避けられ、冷凍食品や加工製品の割合が多くなった時代の中で、お頭のついた丸魚の消費量は伸びるはずがない、として以下のようにも分析されている。
都市生活者にとって魚は面倒な存在であるかもしれない。 |
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このように魚食は人から忌避されやすい要素を多く持っているのだが、それでも魚食をしようとする人としては、例えば健康な食材として魚を選ぶ人、または魚の美味しさを知っていて高価な魚も好んで買う人もいるとして、
振り返ると、食品市場には、手軽で、便利で、安くて、最新の食品化学で開発された調理済みのレトルトや冷凍食品あるいはファストフードが溢れている。繰り返しになるが、やはり時間や手間、料理の習得に時間を要する魚食が廃れていくのも無理もない。 もし、魚のおいしさの喜びがどのようなものかを知っていたとしたら、喜びにたどり着くために、時間をかけて、腕を磨いて「鮮魚の壁」を乗り越えようとするか、それができなければ、料理人に対価を払ってでも食べる、ということになる。 |
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生活者に売る人たち
こうした中で日本では「魚食普及活動」が活発化していて、行政、漁業団体、卸売市場、水産関連団体が魚料理のイベントを各地で開催している。これは深刻な「魚離れ」を防ぐための活動であるが、結局水産物市場全体は先細りしている事実に変わりはなく「魚を食べる人」を減らさないようにするのが「魚職」の課題となっている。
魚の多くは天然資源であり、それらを食材として享受できるのは過酷な自然環境の中で食材を採取する人がいて、それを流通させている「魚職」が存在することも知って欲しいと記されている。
また魚は、季節や地域によって脂ののり方が異なる。そのため、同じ魚でも、季節や場所によって食べ方が異なる。旬の魚はもちろんおいしいが、季節はずれの魚でも食べ方しだいで美味しくなる。また高級魚でなくても、庶民的な魚をおいしく食べるレシピはいろいろと考えられている。 |
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魚の資源動態を追っていくと、資源の増減は自然のことなので人間がコントロールできるものではなく、水揚げされる魚から食を考えざるを得ず、未利用魚の開発や既知の魚の新たな利用方法の開発は昔も今も行われているが、やはり魚を食べる人を増やすには「魚を売る人」にも期待したい、としている。
しかし今や市街地には鮮魚店の姿はほとんど見られず、魚食拡大は大型店の鮮魚テナントやスーパーの鮮魚売場に託すしかないようになってきていて、食育啓発協議会の2008年度の調査によると、子供を持つ親の77%がスーパーで魚介類を買うという調査結果が出ているらしい。
ところが、スーパーの鮮魚売場は1990年代以降に円高をテコにして輸入水産物の取り扱いが増加し、それらが鮮魚売場の主役のようになってきた事情を以下のように記している。
80年代までの輸入水産物の仕入れは、国産の不足分を補完するためと言われていた。しかし90年代以後のそれは、物流業界の発展もあり、大量ロット(大量生産・大量流通)供給が可能になった上、円高基調という為替環境が手伝って、仕入れ原価が抑えられたビジネスモデルとなった。価格訴求力を備えた輸入水産物は、スーパーマーケットの棚から国産水産物を押しのける存在となったのであった。しかもこれらの輸入水産物は、スーパーマーケットの鮮魚売場の定番品となった。ただし鮮魚売場にあってもそれは本当の鮮魚ではない。2000年代以後、地中海沿岸国やオーストラリアなどから空輸されてくる養殖クロマグロや養殖ミナミマグロの生鮮品が増えたが、それらを除けば、ほとんどが冷凍水産物であるか、解凍品である。日本で加工された商品もあれば、現地で加工された商品もある。・・・<中略>・・・こうした安さと安定した供給力のある輸入水産物に対して、価格乱高下する天然国産魚は取り扱いにくい。定番のマアジ、サンマなどの青物類や、マグロ類、そしてマダイやブリなどの養殖魚は季節の彩りを出すために販売されているが、その他の天然魚については、とても扱いづらいのでどうしても少なめとなる。 |
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そしてスーパーは競争が激化する中で、コスト削減で収益力を発揮しようとして、人件費を抑制し、定番品を大量に販売して収益を高めようという傾向が強まり、仕入れ価格の抑制を大量仕入れによって実現しようとしてきたが、このビジネスモデルは水産物販売の促進になってはいかなかった。大量販売に向かずロスが出るような、あまり売れない水産物を棚に並べるわけにいかないので、棚には馴染みのある定番の水産物しか置かない傾向が強まり、結果として買い物客は魚を「食材」として探す楽しみをなくすことになっていることを、次のように述べている。
野菜とは違い、魚は料理の必需品ではなく、嗜好品的性格が強い。また肉や野菜は献立にあわせて買う対象であり、だいたいにおいて生活者は事前に買うものを決める。魚は売場に行ってから、買うかどうかが決められているケースが多い。 |
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また、90年代以降に急速に需要が萎んだ水産物消費部門として、修行を積んだ板前やシェフなどが営む料理屋、寿司屋、ホテルの高級レストランを取り上げていて、かつてこれらの店は接待で成り立っている側面があったが、90年代以降に官官接待や官民接待が問題となって支出縮減の対象となってからは勢いをなくし、板前やシェフの活躍の場としての活力がなくなり、日本の水産物の魚価形成力の一角が崩れて、水産物卸売市場や漁業経営の活力もそがれることになった、としている。
その一方で、昨今は地産地消ブームが強くなり、農水産物直売所が躍進していて、2013年には全国に247の漁協が直売所を所有し、年間1,358万人がここを利用しており、その勢いは現在も止まっていないようである。
また、総合スーパーの魚売場が苦戦する中でデパ地下の鮮魚専門店やローカルスーパーは全国各地で善戦をしている、特に新潟県を本拠とする角上魚類の販売方法は、鮮魚、丸魚だけではなく、加工品も含めて魚を食べたいという客層にしっかり対応していることで著者は注目をしているし、ローカルスーパーの代表としては愛知県豊橋市のサンヨネにも注目している。
全国各地には地域に密着し売上げを伸ばしているローカルスーパーがあり、水産物の販売も対面販売に力を入れるなどして売上げが伸びている企業があるが、必ずしもローカルスーパーの魚売場が大きく儲かっているというわけではない理由を以下のように記している。
そのやり方は現場対応であり「どんぶり勘定」でもある。マニュアル化できるようなものではない。儲かるやり方だとは言い切れない。それでも、鮮度感、活きのよさ、気風のよさ、情の厚さが溢れているから、小まめに買い物をする客とさまざまな魚が集まる。値入率が低くても、売れる回転が早く、売り切ることができれば利益は出続ける。 |
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全国の中央卸売市場も地方卸売市場も、水産物の取り巻く環境は厳しく減退ムードが続いている。水産物だけではなく青果物も同様の傾向だが水産物は青果物以上の危機に直面している。末端の小売や外食の販売力の低迷が卸売市場の価格形成力の弱さに直結しているので、産地の出荷業者は卸売市場への出荷動機が弱まることになり、結果として卸売市場への商品経由率が低迷することになっている。
これらの中央卸売市場と地方卸売市場の実態を記されている「第3章 消費地で卸す人たち」については、FISH FOOD TIMES でのサイト対象者と目的からすると、この部分の解説については省略したいと思う。しかし次の第4章の「産地でさばく人たち」については簡単に触れておこう。
全国に825存在している産地市場は、主に生産者が出荷する市場であり、ここでも取扱量、金額が年々減っていて、全国にこれほど多くの産地市場が分散しているのは無駄だとの考えから、これまで統廃合が行われてきたし、この先もその計画はあるようである。
しかし一方で、産地市場は地域にとっては簡単になくすことのできない存在でもあり、漁業や魚の商工業などと一体化した地域の産業拠点であり、地域経済を支える存在でもある。その産地市場というのは、
海があって、魚という資源があって、そこに漁民がいて、魚を買う商人もそこにいて、生まれる経済、それを実現するのが産地市場。漁村にあって文化的にも経済的にも、シンボリックな存在。これは自然と魚職という生業が重なりあい、歴史を介して形成された「市場」であり、漁民を商業支配から守るための「市場」でもある。それがいま「肥大化したグローバル市場」に飲み込まれ、喘いでいる。 |
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産地で加工される水産加工品は漁村の暮らしと密接な関係があり、水産加工業者にとってその製品開発は仕事の醍醐味でもあり、現代人の味覚にマッチさせるような食品が開発され供給されてきたが、伝統的な水産加工品の需要は縮小し続け、水産加工業も減り続けている。
水産業界の話になると漁業者数の現象ばかりが注目されるけれども、付加価値を生産してきた加工分野も同様の状況であり、商品寿命が短く常に新しい商品を開発していかなければならないので、ここでも一つの人気商品だけでは安泰できないのである。
近年は食の安心・安全が叫ばれるようになり、異物混入を防ぐための金属探知機や異物除去装置などの高い機械装置を導入しなければならないし、働き手の確保も年々困難になっていて取り巻く環境はどんどん悪化しているようだ。
漁る人たち
このように産地市場での環境悪化が進行しているが、その市場に魚を水揚げする漁師を取り巻く環境がどうなっているかについても、第5章「漁る人たち」の中で記されている。
著者が北海道の底建網の漁で漁船に乗船調査した時の体験、そして石川県の掛け廻し漁法の小型底引き網漁船に乗った経験などを踏まえて、遠洋や近海でのカツオ一本釣り漁に触れ、漁船の給料制度である「大仲・歩合・代分け給制」や、漁業経営の仕組みについても解説している。
船頭や船員は、命がけの漁をどれだけおこなっても、魚価が低く売上金額が低ければ、出漁意欲は減退し、漁は辛いだけの仕事になる。それでも、時折大漁があると船員は俄然やる気が出てくる。それが彼らのやりがい、海上での苛酷な労働をする動機である。 いうまでもないが、会社経営では収支バランスを崩し、金融機関への返済が滞れば、船員や燃料供給者に支払いができず、廃業せざるを得なくなる。それゆえ1970年代からそうした漁業経営者は後を絶たなかった。70年代の二度のオイルショックが漁業経営を襲ったのである。 バブル経済の崩壊後、デフレ不況のなかで、とくに90年代後半からの輸入量の増大が、大きく国産の魚価を低迷させた。さらに、その頃金融危機を背景に金融機関への行政監督が強化され、貸し渋りと貸しはがしが横行する。そして2005年以後の燃油高騰。その間の減船(漁船が廃業•撒退すること)は著しかった。 |
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そして母船式漁業は消滅し、北洋サケマス流し網の歴史は2015年に閉じられ、東シナ海の以西底引き網漁業、北洋の北洋転換底引き網漁業、南半球での遠洋イカ釣り漁業などは、以前の数百隻規模から数隻レベルにまで落ち込んでいるし、遠洋・近海マグロはえ縄漁船、遠洋カツオ一本釣り漁船、近海カツオ一本釣り漁船の数も激減しており、こうした沖合・遠洋漁船の減船数は1977年以降の30年間で6,000隻以上、実に約80%以上減っているとのことなのだ。
一方で養殖業についても触れ、養殖業は安定的で計画生産が可能と言われているが、実態は変動する気象、海の環境の中で、漁業者がどう作業するか、手間のかけ方、腕の差で成果は変わることを知って欲しいとしている。
海面を使った養殖業も、天然資源を獲る漁業も「公有水面」である海に生息する魚介藻類は「無主物」であり、それらに所有権はなく原則として自由に採取することができるが、これを自由に放置しておくと優良漁場での紛争が発生する恐れがあり、これを防ぐために漁業法がある。
漁業を管理する制度として、漁業権漁業、許可漁業、届出漁業、それ以外の漁業に分類され、管理する主体は農林水産大臣、都道府県知事、地区別漁業協同組合に区分され、水産業協同組合法、水産資源保護法、漁船法の基本的枠組みがありながら、その秩序形成を漁業者集団に委ねるという、行政庁による管理・監督と漁業者集団の自治による相互監視を組み合わせて、漁場利用の混乱を避ける二階建て方式にもなっている特徴がある、とのことだ。
それに伴って漁業者が漁場を壊さず持続的に漁業が再生産できるよう、資源と経営に対応した漁業行為の具体的方法は様々あるのだが、ここでそれについての説明は省いておきたいと思う。
著者は「漁業をする人は増えるのか」という項で、1961年当時70万人存在していた漁業就労者が2014年には17万人へと激減し、その就業者対策として大きな漁船だけではなく、水産加工場でも外国人技能実習生で人手不足を補っている事実を捉え先々を不安視している。
そんな中で、新たに漁業を始めたい人がいないわけではないとして、以下のように辛口の分析をしている。
新規に漁業をはじめたい人がいないわけではない。問題は新規に漁業をはじめても、乗り越えなくてはならない壁が高く、定着率が低いということだ。都市生活に疲れ、海で働くこと、漁師に憧れる人はいる。しかし漁業に就業してみると、漁業の仕事の厳しさに直面して、耐えきれないでやめていく人が多い。漁場利用のルール、探魚、操船技術、漁具操作、ロープワークなど、いろいろなことを身につけなくてはならない。天候や波浪の状況しだいでは、命がけの仕事になる。仕事は何事もすばやくこなせなくてはならない。ただおもしろいことに、仕事のやり方は十人十色であり、どうやら正解はないようだ。漁業は自然からの恵みを自然のなかで採取する生業であるが、一方で波浪、風浪、時化があったり、資源の来遊がなかったりと思い通りにはいかず、常に自然と対峙し、計画通り思い通りに実行できるものではない。海の状況、魚の回遊状況を見ながら仕事をするしかない。定時で働く仕事とは、まったくリズムが異なる。 |
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そして、漁業者の「漁労」という職能について、以下のように記している。
(漁業が)儲かるかどうかも一つの指標だろう。しかし、就業選択のための指標は多様化している。就業に優劣はなく、その魅力も相対的なものである。儲かっている仕事でもブラックな仕事環境には多くの人が耐えられない。儲かっていなくても、みずからの生業としてその仕事がぴったりならばこれを選ぶ人だっている。 問題は、自分が自分らしく生きていくために何を仕事にするかであり、仕事の何が生き甲斐や喜びに転化できるかであり、その職能を身につけるため、極めるために、日々の辛さを受け入れることができるかどうかなのである。 東日本大震災後、船を失って彷徨っている漁師が言っていた。海に出て漁をしていないと、辛い、ストレスが溜まる。漁をするという職能は、漁師そのものなのである。漁師は船に乗って漁仕事の腕を磨き、魚をたくさん獲り、あるいは養殖し、その生産物が市場のセリなどで評価を受けたときにボルテージが最高に達する。これがあるから、時化がひどくても海に出ることがある。これがあるから収穫期まで養殖作業をがんばることができる。そこには私たちには味わうことのできない、やり甲斐があるようだ。 こうした職能は尊敬されていた。職能を身につければ稼ぎもあつた。しかしデフレ不況のなかで、職能は買い叩かれるようになった。先行き不安のなかで、生活を維持するために、生活者の「魚食」は回避され、魚の相場形成力は明らかに弱まったのだ。こうして職能が軽視される時代になってから、命がけで漁をしている人への敬意の気持ちが社会的に薄らいでいる。 食物は自分たちの身体の一部になるにもかかわらずである。市場経済の悪戯にほかならない。 本来「漁労文化」があって「魚食文化」が生まれてきたはずなのだが、現代では多様な食材が創出されたことから、「魚食」は縮小し、「漁労」をさらに窮地に追い込んでいる。しかも、マーケットを介して「魚食」と「漁労」は切り離されている。 「漁労」という職能は「魚食」があって初めて機能する。 |
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著者は「市場経済」が深まっていけば行くほど「職能」の扱われ方が「人として」ではなく「物のように」なり、経済の活力を落としてしまうのではないかという問題意識を持ち続け、組織内労働の現場に成果主義が広がったことで、職能の没個性化を進め、働く意欲を奪っているのではないか、そして労働に意欲がなくなると、経済の活力は取り戻せないのではないか、としている。
問題は市場経済をどう活用するかだとして、
市場経済は、新興分野が既存分野の市場を奪って成長する。それゆえに新興分野が拡大再生産する一方で、既存分野は縮小再生産のブロセスに入る。そして既存分野では利益率が落ち込むため、「無駄」を無くすためのあらゆる手立てが使われるようになる。そうなると既存の業界内では取引関係間でコスト節減や値引きの交渉、あるいは厳しい業務改善の交渉が始まり、結果として大なり小なり業界内に軋轢が生じてしまう。このような連鎖が容易に想定される。冷静に観察すると、市場経済の発展下の既存分野にはそのような現象が見えてくる。 |
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誇りを傷つけられた水産業界が、魚食と魚職の復権にはどうすれば良いかとして、著者は「鮮魚の消費・販売の再生」を挙げている。
ここは本書の肝心要となる部分であり、今回FISH FOOD TIMESでこの本を紹介したいと思った核となる内容なので、少し長いけれども著者が記述されていることを、以下にそのまま紹介したい。
日本ほど鮮魚流通が発展した国はない。魚屋や板前あるいは生活者が高鮮度を求め続けた結果、鮮度を落とさない鮮魚流通のラィンが構築されてきたからだ。外国にはまねできない。 人が人を頼りにする、人が人を大切にする、人が人に敬意を払う、そして自然からの恵みをうまく回し、活用する。魚食にはこうした連鎖が大切なのである。 |
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以上が「魚と日本人」に記されている内容の抜粋である。
非常に説得力のある内容が記述され、そして具体的に提案されていると感じる。特に「対面販売の重要性」に着目している点は大いに納得するところである。
今月号はいつもとは違って、画像がなく文章ばかりなので読者の方々が最後まで読んでくれたかどうか不安である。こういう手法での表現はもちろん初めてのことなのだが、水産業界のことをこの本では生産という観点だけではなく末端小売レベルのことまで含めて、これほど見事に分析した名著は過去に読んだことはなく、読者の皆さんにそのポイントを要約して伝えたいとの思いからこの形になったのである。
もちろん、これは単なる要約でしかないのだから、少しでも興味が湧いたなら直ぐに本屋さんへ直行して購入してほしいし、同じ濱田武士教授が著しておられる「日本漁業の真実」(ちくま新書)も同時に購入されることをお勧めする。
2017年の年頭にあたって、皆さん方が属しておられる水産関係各処において、これから先の魚に関係する仕事のことを少し深く考えてみるには、この本は絶好の機会を与えてくれるのではないかと思われる。
この本に触れることが一つの契機となって、2017年の日本の水産業界が何か良い方向へ少しでもつながつていってくれればと思うものである。
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更新日時 平成29年 1月1日