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平成28年 11月号 155
上海蟹料理
上海探訪
毎年11月号での恒例となっている「お魚事情海外編」今年は中国の上海である。
中国の中でなぜ上海を選んだかと言えば、それは「上海蟹」という言葉を聞いたことはあるけれど、それを見たことも食べたこともなく、一度は食べてみたいものだという興味が以前からあり、中国における魚事情探訪旅行のついでに、一番大きな楽しみとして「上海蟹」にした。
上海蟹を食べる季節は決まっていて、10月から12月が旬であり、10月に食べるなら雌、11月なら雄が美味しいと言われており、今回はちょうど10月末という絶好の時期となった。
まず上海に到着して最初に楽しみにしていたのは、旅行案内書に書いてあった上海浦東国際空港から市内中心部に時速430kmの高速で走るというリニアモーターカーに乗ることだった。時速430kmとはいったいどんな感じなのかとの期待があった。
しかしリニアモーターカーの車内でいつ400kmを超えるのかと時速表示盤をずっと見続けていたけれど、結局300kmを超えたのがやっとであり、400kmはおろか350kmにも届かず、日本の新幹線と大きく違わないことにガッカリしたのだった。
2日目の朝、ホテル17階の窓から外を見ると上海の空は左下画像のような曇り模様であり、右下画像の3日目は朝から小雨模様が加わって、更に本格的な雨も降り出し、上海の4日間で一度も晴れ間を見ることはなかった。雨が降っても降らなくても遠景は靄っていて、スッキリしない天候が最後まで連続したのだった。
2日目は上海の流通事情を知ることを優先することにして、移動手段に日本のMK交通上海支店が出している「タクシーの1日(9時間100km以内)借し切り」を頼んだ。料金は1日で800元(1元=15円として、日本円で約12,000円)なので、日本語がまったく通じず、英語もほとんど通用しないと聞いていた現地で変な苦労を重ねるよりも有効な手段だと考えていたからだった。
日本のMK交通なのだから日本語が通用すると思ったら、運転手さんは日本語だけでなく英語もまったくダメだった。運転手さんが会社から渡されていると思われるスマホの中国語日本語翻訳ソフトに頼ることになり、そこ示された文字を読んで私と会話することになった。それを使っても意味が通じない時は、そのスマホでMK交通支店に運転手さんが電話し、日本語のできる社員と私がスマホで会話し、支店の社員がその内容を運転手に伝える、という回りくどい方法を使うことになったのだった。ちなみに日本語ができる運転手を頼むと1日1,200元(18,000円)とのことだ。
上海久光百貨店
最初に久百城市広場にある地元の久光百貨店食品売場に向かった。その店には魚売場があるとの情報を得ていたので、先ずはその様子を見たかったからである。
店内の魚売場はまさに日本式をそのまま移植したような感じだったが、品揃えしている商品内容は刺身と鮨ばかりであり、丸の生魚や切身などは存在しない、いわば「刺身鮨売場」であった。
刺身と鮨の商品の中身は、ホッキ貝、キハダマグロ、ビンチョマグロ、甘エビ、ツブ貝、カレイエンガワ、カニ身など、基本的に冷凍魚の解凍物ばかりで、冷凍していない生の材料はサーモンだけだった。
そのような解凍魚主体の内容で、刺身の価格は一山3〜4切れで20元(300円)から25元(375円)という高さなので、基本的には一部の所得の高い富裕層だけを相手にしている様子だった。
これでは中国のお魚事情を知ることにはならないと思い次の場所へと移動することにしたのだが、実は久光百貨店には開店時間10時の20分以上前に着いて、開店までの20分ほど時間を潰すことになり、ほんの隣にある静安寺へ足を運んだところ、奇遇にも面白い光景に出会えた。
静安寺
静安寺は3世紀の三国時代に由来し、江南地域の悠久の歴史に影響を与えた名刹の1つである。1953年に持松法師が境内に真言宗の壇場を創立し、五代以来長く絶えていた密教の道場が開設された。しかし1966年の文化大革命時に仏像や法器は徹底的な破壊に遭い、持松法師は迫害に遭って僧侶はしかたなく還俗した。その後寺の一部は改築してプラスチックの工場となり、1972年に残っていた仏殿も火事となり焼失し、静安寺は一面の廃墟となった。そして1979年に中国政府は再び宗教寺院として指定し、1983年に国務院は漢族地区の仏教の全国重点寺院の1つとして静安寺を認定し、現在静安寺は中国内陸の最も重要な密教の真言宗道場となっている。
寺院の中に入るのは50元必要で、境内の中に入ると何か法要のようなことが行われていて、その様子を暫く見ていると日本でもお馴染みの放生会であることがわかった。
放生会は捕獲した魚や鳥獣を野に放して殺生を戒める宗教儀式である。その放生会の成り立ちは中国天台宗の開祖智リが、漁獲した金にならない雑魚を漁民が捨てている様子を見て憐れみ、自身の持ち物を売って魚を買い取って放生池に放していたことに始まるとされる。
筆者は2011年に訪問したホーチミンでは、寺近くの門前の路上に鳥かごを置いた人がいて、そのそばにいるオバさんにお金を渡すと、鳥かごから小鳥を放してやる形で商売しているのを見かけたことがあるが、これも放生会の一つなのだろう。
日本では福岡市の筥崎宮で例年9月12日から18日にかけて、博多三大祭の1つとして盛大に行なわれ、秋の行事として親しまれている祭りがあり、一般的に「ほうじょうえ」と読まれている放生会は、筥崎宮や博多では伝統的に「ほうじょうや」と読み、生き物の霊を慰め、感謝の気持ちを捧げる祭りとなっている。
筆者が日本ではなく中国上海の静安寺での放生会にたまたま遭遇したというのも、魚を販売することに関係している者として何かの縁だろうと感じたので、本堂の賽銭箱にお布施をしようと財布を出したところ、なんと財布そのものが手元から滑って、賽銭箱に落ちていってアッと肝をつぶした。しかし幸いにも100元札で分厚くなった財布の厚みに助けられて、賽銭箱の隙間を滑り落ちることなくギリギリで止まってくれたので、間一髪で有り金すべてをお布施せずに済んだのだった。イヤーッ・・・、本当に大変なことにならず、なんとか胸をなでおろした一幕があったのだった。
中国には100元札以上の高額紙幣がなく、大した金額を両替しなくても財布は随分と分厚くなるので、なんだか急にお金持ちになった気分になるが、国内に帰って100元札を30枚両替すると、1万円札4枚にしかならなかった。
七宝寺
この肝を冷やす小さな事件に懲りて、静安寺を早々に跡にすることにして、せっかく100kmは走り回れるタクシーをチャーターしたのだから、上海市の中心部から15kmほどの郊外の方にある水郷古鎮の七宝寺まで行って少し観光し、そこから市内中心部へ戻りながら流通関係店を視察するルートを執ることにした。
中国は広大な国土の割に海に面した海岸線は多くないことから、食べる魚は海水魚が中心ではなく淡水の川魚が中心となっていて、この画像は七宝寺横の水路なのだが、このようなクリークなどで漁獲される魚が食用としては多いようである。
七宝寺に通じる細い路地は観光客相手の食べ物屋や土産物屋が数多く立ち並び大変な賑わいだった。
中国全土から訪れる観光客でゴッタ返す狭い路地に並んでいる食べものを観察していくと、そのほとんどが米を材料としたものが多く、更には野菜に加えて鶏肉やうずらの肉と卵、豚肉、羊肉までは豊富にあるが、魚を材料としたものは皆無なのである。
つまり、中国ではそれだけ魚料理というのが庶民の生活の中に根付いていないということであり、これらを見ているだけで中国では魚の食文化が基本として強くないというのが理解できるのだった。
銅川水産市場
七宝寺の観光はそこそこにして、魚の流通事情をもう少し知るために今度は上海市北西部の普陀区に位置する銅川水産市場に向かうことにした。
銅川水産市場のオープンは1990年代であり、敷地面積14,000uの中に水産問屋が数100軒あって、早朝から夕方まで営業しているとのことだ。
しかし、この市場は筆者が訪問した丁度10月末で閉鎖されるということが、左上画像の赤い幕に記されており、既に右上画像のように閉鎖のための下準備工事が進行していて、幸いにも旧魚市場の最後の姿を見ることができたということになる。
奇しくも、築地魚市場が豊洲へと移転する時期とまったく一緒というのは何とも面白いタイミングであり、日本ではそれが大きな問題となってスンナリいっていないけれども、果たして上海の場合はどうなるのであろう。中国では移転の噂が出てから10年そのままなんていうこともあるらしいが、事前工事の様子などを見ると閉鎖されるのはほぼ間違いないようだが、移転先は豊洲のようなことがないのだろうかと気になる。
閉鎖されるまで1週間を切った段階だからとは思うが、この魚市場の乱雑さと不潔さと汚さのレベルは上の2枚の画像にあるように筆者がこれまで見たことのない酷さであり、誰よりも魚の臭いには慣れている筆者でも逃げ出したくなるようなものがあった。
幾つもの問屋さんの店内は活魚水槽が中心であり、水槽に入っていない箱物の鮮度管理はお粗末で、刺身や鮨にできるものは水槽の中からしか選べないと感じた。
海水魚で目立ったのはマナガツオ、キグチ、タチウオ、スズキなどであり、淡水魚は鯉とボラの合いの子みたいなソウギョ(草魚)、ドジョウを大きくしたような日本で台湾ドジョウと呼ばれるライギョ(黒魚)、小さなフエフキダイのようにも見えるケツギョ(桂魚)などが目立っていた。
その中で少し驚いたのが以下の画像である。
それはたぶんノルウェーから運び込まれた生のアトランティックサーモンだと思われるが、そのブロックをフィルムに巻いて常温で販売していたことであり、お客様にそれを発泡スチロールの蓋の上で必要とされた分を切り分け、皮すきもその上で行なっていたことだった。
これはいくら何でも鮮度管理も衛生管理もあったものじゃなく、今では中国においても鮨や刺身の材料として最高の人気を誇る生食の材料としての生サーモンがこんな扱いで大丈夫なのかと本気で心配することになったのだった。
本来なら筆者は仕事柄ついこういう場所には長居してしまうものなのだが、こんな光景を見てしまうと早々に別の場所へと向かいたくなってしまった。
カルフール&METRO麦注龍店
そして向かった次の場所は、本格的な魚売場があることを期待して古北カルフールに行った。魚市場からはそれほどの時間を要せずに店に到着し店内に入ると入り口のガードマンに呼び止められた。そして持っていたカメラを外してカバンに入れるように指示をされ、筆者は泣く泣くその指示に従ったのだった。
店内の魚売場では氷の上で魚の裸売りなどもあったが、その基本は冷凍魚の品揃えが主体であり、魚売場にお客様はほとんどいない開店休業のような状態であり、この店では目的の半分が達せられなくて面白くないので、ここも直ぐに立ち去ることにして次の目的地へ向かった。
次は運転手の説明によると上海の小売店の中で一番大きいということで、そこはドイツ系流通のMETRO麦注龍店だった。
入り口から店に入ろうとすると、ここでも従業員に呼び止められてしまった。
女性の従業員から呼びかけられたので、英語で応答すると中国人ではなく日本人だと判断したようで、「日本人ですか?会員でないと中には入れません」と日本語で説明された。私が困った顔をすると「会員証を直ぐに作りますので待ってください」と言って、その場で直ぐに紙に手書きした数字を渡してくれて「レジでこれを見せると買い物は大丈夫だ」と言って店内に入れてくれた。
特にカメラを保持していることについて問題を指摘されることもなく入ることが出来て、ゆっくり店内を見学して多少の買い物もすることになった。
先ずは魚売場の様子である。
上画像のように、氷の上での生魚の裸売りの種類も充実しており、活魚水槽もあり、冷凍魚の数も多く、特に上海蟹については、大88元、中45元、小26元、と3種類が松竹梅の法則で並んでおり、なかなか大したものだと感心することになった。
店内は魚の商品を含めた生鮮食品もなかなか充実していたけれど、やはり圧巻だったのは下画像のようなドライ食品、及びその他の非食品全般が高い天井の倉庫型店舗に山のように積まれており、中国における欧米型会員制店舗の今後の未来を垣間見る思いであった。
METRO麦注龍店の視察を終えると、中国における魚の流通の一端は少し見えてきたと感じたので、タクシーの借り切りは17時までだったけれども、16時には料金の精算をしてホテルに引き上げた。そして、今回の最大の目的である「上海蟹の食堪能」に向けて準備をすることになった。
上海MKが勧めてくれた店で、ホテル近くにある「上海1号私蔵菜(戸湾店)」に17時開店の1番乗りをすることにした。
これから先の様子は次ページに記すことにしよう。
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更新日時 平成28年 11月1日