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平成25年 1月号 No.109
魚屋鮨鉢盛り(大トロ5カン入り)
この60カン入りにぎり鮨鉢盛りの価格は幾らと推測されるだろうか。
これはある会社で1月現在、今の時点でも営々と売られている商品そのものなのだが、売価は2日前迄に予約を入れたら、10%割引で「5,220円」である。
前日や当日だと5,800円になるが、それでも非常に魅力的価格であることは間違いない。
生ネタばかりではないが、大トロが5カン入ってこの売価は破格値である。この商品を扱う会社は盆や正月の商戦において、この予約鉢盛りという企画で、毎年「倍々ゲーム」に近いような勢いで売上を伸ばしてきている事実があり、巻頭画像はこれまでの商品に更に「大トロ」という魅力を加えた「進化版」なのだ。
ちなみに以下の画像は、寿司専門店の「宅配寿司」の例である。
同じように大トロが5カン入った例を比較したものだが、専門店はさすがに技術的に凝っていたり、内容が変化に富んでいるけれど、商品内容、ボリューム、そして価格のどれをとっても、
5,800円の巻頭画像の方に「差し違えなし」で軍配が上がるのは間違いないだろう。
何と言っても、上の宅配寿司一つ分の価格で画像の魚屋鮨は2ヶになるのだから・・・。
この魚屋鮨鉢盛りは「安かろう悪かろう」の価格競争を仕掛けているのではなく、あくまでも「ネタの質と鮮度」という点で決して妥協をせず、質と価格のバランスが優れたコストパフォーマンスの高い商品となっているのである。
この魚屋鮨鉢盛りの価格は決して無理をした売価設定ではないと断言できる。
それは筆者が自分自身でこの作品を作成したものであり、同時に容器やあしらい等の全てを含めた総原価も複数の人間で確認しているからだ。
会社によってネタに使う魚の仕入れ原価が違えば商品原価も違ってくると思うが、この売価に見合う原価になるのかならないのか、これは「考え方」次第である。
考え方一つでそのネタの質はどうにでもなるのであって、惣菜レベルを相手にするのか、それとも鮨屋さんの質と価格をターゲットにするのか、そのライバルを何処に置くかによって明らかに位置づけは変わってくるのである。
巻頭画像の魚屋鮨鉢盛りの競争相手は、明確に「鮨屋さん」としている。
これまで鮨屋さんに頼んでいた「鮨の出前」を、こちらに取り込めないかとの発想だ。
この考えは 平成22年1月号 73 で詳しく述べているので参考にしていただきたい。
今月号では、73の号の時に記した内容には基本的に触れず、魚屋鮨というものを少し違った観点から、見直してみたい。
それは先月たまたま筆者が名古屋に行く機会があった経験から感じたことなのだが、名古屋には「魚屋鮨が存在しない」ということを発見をしたのである。
これは自分にとっては驚くべきことで、今や遙か昔と表現しても良いような、幣紙の紙版 FISH FOOD TIMES(平成6年8月 第43号)で「魚屋鮨」を特集し、「魚屋さんの鮨」というものを新しい動きとして捉えていた。
あれから20年も経つのだから、魚屋鮨は全国に広がっているだろうと考えていた。
ところが名古屋地区に縁がなかった筆者は不勉強としか言いようがないのだが、今回初めて「名古屋に魚屋鮨が存在しない」ということを知ったのである。
参考にしたのは名古屋市北部から春日井市近辺にかけての10店だけであり、
名古屋市全ての店を見ているわけではなく、誤解している面もあるかもしれない。
仮に今回はたまたま特殊な地域を見てしまい、偏った見方をしているとしても、10店舗もの魚売場を見て魚屋鮨が一つもないのはやはり地域特性と捉えるべきだろう。
今もなぜ魚屋鮨がないのか、どうして魚屋鮨に取り組まないのか疑問を抱えたままだ。
魚屋というのはどうあるべきかについて、世の中には色々な意見があると思うが、名古屋で魚の販売にかかわる人達は、昔ながらのスタイルを重視して、「鮮度の良い魚を鮮度の良い内に売り切る」ことにこだわりがあり、魚を鮨に加工して商品にしたり、焼いたり煮たりして商品にするなどは、
魚屋らしくないとして、頭から否定しているということなのかもしれない。
しかし、魚屋鮨というものが出てきて既に20年以上の月日が経つと思うが、20年以上を経過して、その勢いは強まりこそすれ弱まることはないと感じている。
昔スーパーのにぎり寿司と言えば、惣菜売場での冷凍ネタ商品が常識だったのに、今やその美味しくない惣菜のにぎり寿司は、本格的なネタを扱う魚屋鮨の出現によって、全国的に言えば今後淘汰されてもおかしくない状況にあると筆者は見ている。
魚屋鮨の出現により惣菜部門は危機感を持って立ち向かっているかと言えば、惣菜部門自身が賢くもその限界を自ずからわきまえているようで、これに正面から闘おうとはせず、棲み分けを選ぼうとしているのが大半のようである。
中には安さで正面から闘いを挑んでくる惣菜にぎり寿司は確かに存在するけれども、どうあがいても元々原料の仕入れ段階から質の面でとっくに勝負はついているのだ。
そんな安さ以外ではとてもお客様の満足を得られない惣菜のにぎり寿司を相手に、魚屋鮨を扱う魚屋企業や魚部門はそのシェアをどんどん奪いつつあると言えるだろう。
つまり近年の全国的な傾向からすれば、名古屋地区に魚屋鮨が不在という事実は、既に希少な存在というだけではなく、名古屋のにぎり鮨を好む消費者からすれば、「魚屋鮨がないことの不幸」を悲しむべきと言った方が良いのかもしれない。
いっぽうスーパー経営者の考え方として往々にしてあるのが、「惣菜部門にぎり寿司に魚屋のネタを回せば良い」とする一見合理的な判断である。
しかしこういう「部門の垣根を超えた」手法は過去に上手くいった例がほとんどない。
いや我が社はこの方法で上手くいっていると豪語するところが仮にあるとして、魚屋鮨にすればそれまでとは全く違ったものにすることが出来る事は知ってほしい。
その違いとは、魚屋が生魚による季節変化があるのと同じように、魚屋鮨にすれば、ありきたりのネタから「季節に沿った変化のある生魚のネタ」へと、以下の画像のような商品が売場で実現することになるからである。
旬鮮にぎり盛合わせ | ||||
生マグロ赤身 | 天然ヒラス | 本マグロ中トロ炙り | 天然鯛皮霜 | 天然ヒラメ |
小鯛炙り | イサキ炙り | 国産生ウニ軍艦 | 真アジ | バラガリ |
これは昨年の5月頃、筆者が自分で造ってみた「旬鮮にぎり盛合わせ」なのだが、全てのネタに冷凍魚は使わず、生ネタのみを使用した特選のにぎり鮨である。
実はこれらの商品原価そのものは決して高いものではなく、変にやたら高い冷凍ネタを使うより、原価は格段に安く収まるのである。
このことは刺身の薄造りを造っている魚の担当者であれば直ぐに分かるはずで、生ネタの「特選にぎり」だからと言って、原価が特に上昇することはなく、特選にぎりに相応しい売価にすればそのまま値入率は大きく上昇する妙味があるのだ。
では、この画像のような鮮度感溢れるにぎり鮨が惣菜部門で可能かを考えてみよう。
このレベルのものを惣菜部門で可能という店があれば飛んで見に行きたいほど、そこにはどうしても構造上超えられない大きな溝があるのはハッキリしている。
しかし魚屋鮨であっても、このような商品を実現するには条件があって、頭付きの生魚が全体を見渡しても数種類しか並んでいないような魚売場は、元々そんな鮨ネタに変化させる生魚が存在しないのだから「・・・ムリ!」なのだ。
一部の識者に「魚売場に丸魚は10種から15種もあれば充分」と唱える人がいるが、こんな発想が根にあると魚売場に丸魚は半分の5種から8種ほども並ばないものであり、それがそのまま「魅力ある魚屋鮨も実現できない」ことにつながるのである。
読者諸氏もご覧になったかもしれないが12月20日(木)に放送されたカンブリア宮殿で、新潟の角上魚類のことが取り上げられていたけれども、番組で取り上げられた年商16億を見込むという角上魚類日野店の売上ナンバーワンは、売上構成比20〜22%の「魚屋鮨」なのである。
なお、角上魚類日野店のことは業界専門誌「食品商業」平成24年9月号の、 50ページから53ページに記事があり、テレビを見逃された方はそちらを参照されたい。 ちなみに、同じ9月号の54ページから57ページは筆者の拙文なので併読をよろしく・・・。 また、1月15日発売の食品商業2月号にも筆者の寄稿文があります。これまたよろしく・・・。 |
虎の威を借りるわけではないが、魚屋の理想型の一つがそこにあるのは確かであろう。
なぜなら、発表では全体のロス率が驚異的な「0.6%」とのことだからである。
筆者の指導先に刺身商品群のロス率が「0.8%」という会社が事実存在するので、角上魚類関係者の発言が格好をつけた虚言ではないと信じることが出来る。
その0.6%というロス率を可能にしている要因の一つが「魚屋鮨」なのである。
そのような驚異的低ロス率の要因は魚屋鮨だけではなく「魚惣菜」にもあるようだが、これについてのコメントは今回の主旨から外れるのでここでは避けておくとして、要するにそのポイントは「一魚種から最大のSKU商品化」をおこなう事にあるようだ。
魚屋鮨というのは、刺身や切身と同じ「S.K.U.」の一つと考えるべきであり、一つの魚を無駄なく十全に使い切り消化していくためには、「もっとも相応しい売れる形に変えていく必要がある」
という根本原則を魚関係者及び経営者が理解しなければならないのである。
例えばそのことを解りやすい具体例として「本マグロの大トロ」を挙げてみよう。
「本マグロの大トロ」は、どの形態が「もっとも相応しい売れる形」であろうか?
焼き物用切身は「とんでもない・・」のは誰でも直ぐに解るが、刺身はどうだろう。
好きな人は食べたいとは思うだろうが、10切れ位の数を食べての満足感はどうなのか。
口に残る脂っこさと支払う金額のバランスの悪さに満足感は期待できないのでは・・?
しかし、これに銀シャリを加えて「大トロのにぎり鮨」に変化した途端、それを10カンも食べたら、普通ならばその満足感というのはこの上ないものになり、同時に刺身では味わえなかったお腹の満腹感も感じることになるだろう。
大トロに限らず、逆にお金にはなかなか換えられない雑魚といわれる小魚だって、丸のままパックして売ったのでは価値がなくても、鮨にしたり惣菜にしたりすれば、その売れ行きが急に良くなって、それまでとは違った側面を見せる魚もあるものだ。
つまり、魚には「その魚にもっとも相応しい販売形態がある」ということである。
魚屋鮨を実施していない魚売場は「トロ」という商材は消化する自信がないために、どうしても仕入れが弱くなり品揃えにも限界が出てくるが、魚屋鮨の売場があれば「にぎり」にすることで売り切る可能性が生まれることから、仕入れ価格が格段に高いトロ関連商品の品揃えも強気の姿勢が出せるのである。
同じように小魚についても消化方法として魚惣菜の手段があれば心強いことになるのだ。
「魚にはその魚にもっとも相応しい販売形態がある」
との考え方を受け入れ、この形を実現したいと思うのであれば、先ずは手っ取り早い「魚屋鮨」に取り組んでみてはどうだろうか。
「魚離れ」という言葉が喧伝されて久しいけれども、魚料理の一つである「鮨」は老若男女を問わず高い人気を誇る商品である。
この人気商品を惣菜部門だけに任せることで本当にお客様の満足度を高められるのか、このことを魚部門運営に影響力のある立場の人達はよく考えてみてほしいのである。
鮨の人気度からするとまだこれから高い成長余地が残っていると思われるが、その伸びていく部分というのはこれまでのような惣菜の「間に合わせ商品」ではなく、質的にも「本当に美味しい本格的な鮨」を提供できる魚屋鮨であってほしい。
全国のスーパーの魚部門は約85%が赤字だと言われているけれども、その主たる要因は旧態依然たる販売手法の中で、安売り競争に汲々としていて、その泥沼から抜けきれず新たな糸口を見つけられないでいるからではないだろうか。
安売りを小手先で弄するだけでは限界は直ぐにやってくるのは歴史が証明している。
魚部門にとって鮨はこれから売上をプラスすることが期待できる数少ない商品であり、利益についても、その方法次第では魚部門の利益構造を変える可能性もあるのだから、こんな期待値の高い商品を手をつけずに放っておく方がどうかしていると言いたい。
魚が売れないと嘆く前に「売れる可能性の高い商品」に力を入れてはどうなのか。
魚屋鮨の位置づけを含めて「魚売場とはどうあるべきなのか」を再考し、これまでの流れに縛られない新たな発想の魚売場を構築すべきではないだろうか。
更新日時 平成25年 元旦 |
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