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平成29年 11月号 167

イタリア魚料理の一端


水の都ヴェネツィアへ24時間

今年も恒例「海外お魚事情」を発信する11月がやってきた。

海外の各国において、魚がどんな食べられ方をされているのかを知るため、筆者は毎年10月の後半頃に海外へ出かけてその実態の一部を視察し、そのことを毎年 FISH FOOD TIIMES の11月号で特集し記しているが、今年はその訪問国をイタリアにした。

イタリアは国土面積が日本の約80%、人口が日本の55%、GDPは世界8位前後の国であり、地中海に面していて、東のアドリア海と西のリグリア海の間に囲まれ、海に面している海岸線の部分が多いため、ヨーロッパのなかでは比較的良く魚を食べる国であるとの予備知識をもって訪問した。

1日目の行程として、先ずは「海の中の海上都市ヴェネツィア」を訪ねることにした。その理由はヴェネツィアはその独特の地理的な位置づけからすると、きっと魚を良く食べるに違いないと推測をしていたからである。

1日目の訪問先ヴェネツィアへ向け、福岡空港をフィンエアーで朝10時に出発し、ヨーロッパのハブ空港となっているフィンランドのヘルシンキに飛び、ヘルシンキで同じフィンエアーに乗り換えてローマへ飛び、今度はアリタリア航空に乗り換え、そのままローマからヴェネツィアへ直行した。

ヘルシンキ ヘルシンキ空港

タイムスケジュール上の額面では、福岡空港を10月22日朝の10時に出発してヘルシンキには午後の14時25分に着くので4時間25分しか経っていないことになっているが、実際には時差が6時間あるので約10時間30分必要であり、更にヘルシンキからローマまで空路3時間半、そしてこの日3度目のフライトでローマからヴェネツィアに1時間、ベネツィアのホテルに着いたのは現時時間22日午後11時30分を回っていた。自宅を出発してから乗り換え待ち時間を含めると、ほぼ24時間移動し続けたのだった。

空路の最終地ヴェネツィア空港からはバスに乗り、地上での車移動手段が使える最終地であるローマ広場に移動した。そこからはヴェネツィア市内では唯一の乗り物である船に乗ったのだが、それは水上バスというものであり、教えられたホテル近くの停泊場で降りたものの、歩いて直ぐ近くだと言われたホテルの入口が分からず、暫くは真っ暗な狭い路地の間をグルグル回り、何人かに道を尋ねてホテルの入り口を見つけ、本当にやっとハードな1日目の旅程が終わったのだった。


ヴェネツィア

venezia

ヴェネツィアという都市は、5世紀の頃に北イタリアの住民がゲルマン人のイタリア侵略から逃れるため、上の地図にあるような長い距離の干潟に守られたこの湿地帯へと避難してきた。足場が悪い湿地帯のために侵入者は追ってくることが出来ず、避難した人々はここに暮らし続けるようになって、その時からヴェネツィアの歴史が始まった。

建物を建てるために、干潟に「大量の丸太の杭」を打ち込み、それを建物の土台としたためヴェネツィアを逆にすると森ができると言われている。石でできた建物がある地上は迷路のように狭く曲がりくねっているので車は入れず、数多くの橋も歩行者専用であり、観光客も歩くか船を利用するかどちらかしかない。何世紀も長い間、市内の輸送手段となっていたのが手漕ぎのゴンドラだったが、今はエンジン付きの水上バスや水上タクシーがあり、ゴンドラは観光専用となっている。

venezia   venezia

venezia   venezia

このように世界的にも稀な街の風景を持つに至ったヴェネツィアで、筆者の目的の場所の一つは魚市場としていたが、到着した翌日は月曜日だったので魚市場は休場日であり、一番賑わう時間だと聞いていた10時頃の魚市場の中は以下の画像のようにガランとしていた。

venezia   venezia

魚市場の建物

というわけでこの日は、Myuという観光会社に申し込んでいたヴェネツィア半日観光ツアーの出発時間まで時間に余裕ができたので、軽い昼食をとるつもりでサン・マルコ広場にある一見普通のカフェに入った。

しかし中に入ると、そこは非常に立派な造りの店内であり、実はベニスの市内ではとても有名な高級カフェで、軽くどころか大変重たい出費をしてしまったのだった。

venezia   venezia

そのカフェの名は「カフェ・フローリアン」なんと約300年前の1720年オープンの有名な老舗であり、昔から世界の有名人が次々と訪れることで知られており、「二都物語」を著したイギリス人作家チャールズ・ディケンズや、「失われた時を求めて」で知られているフランス人作家マルセル・プルーストらの文学者が頻繁にここを利用して寛いでいたカフェということでも有名なのである。

左上の画像にあるように、その情緒ある荘厳で華美な内装は雰囲気たっぷりであり、そこはカフェなのに右上画像のサンドイッチが17.5€、生ハムサラダが21€、ビールは1杯13€もの価格だったから、カフェではダントツに高い価格だと言えるのだが、筆者としては一生に一度の思い出に「ディケンズやプルーストが座った席でひと時を過ごした」と思えば高くはないのかなとも思うことにしたのである。

ついでの話だが、あの「ベニスの商人」を著したシェイクスピアは一度もベネツィアを訪れたことはないということだから、念のため・・・・・・

午後の半日観光では、運河でゴンドラを楽しみ、サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿を訪ね、ヴェネツィア半日観光ツアーを過ごした。その後夕食の時間となって、大理石でつくられたリアルト橋というヴェネツィア最大の橋の近くにあるレストランで今回初めて魚料理を味わうことにした。

下の画像にあるようにRistorante terrazza sommariva という店の前には、生魚が魚屋の裸売りのようにして並べられており、いかにも「魚料理が当店の売りですよ」とアピールされていた。しかも運良く運河に面したワンテーブルが空いていたので、その最高の場所だと思われる席に座った。

実際のところはあまりに運河に近すぎたために、少しだけ海水のドブ臭さが漂ってきて必ずしも最高ではないのが後で分かったのだが、気になるようなものではなく、それは磯の香りだと思うことにした。

venezia

私たちを担当したスタッフは、自分が覚えている日本語を全てぶつけてきて私たちを大いに笑わせ、そして楽しませてくれるサービス精神旺盛な人物であり、最後にチェックを頼むとレシートを持ってきて、それを私に見せて、彼が笑顔で「ココロヅケー、ハイッテナイ!・・・」と言うものだから、チップの習慣がないイタリアで「ココロヅケ」を渡すと、嬉しそうに何度も「グラッチェ」を繰り返したのだった。

そこで頼んだ料理は以下の画像である。

    spag.seppie nere     insalata astice

イカ墨スパゲッティ Spaghetti seppie nere 17€、 ロブスターサラダ Insalata astice 24€

イカ墨スパゲッティの墨はどちらかと言えば生臭さが強くてコクがあり、墨の材料となっているイカは沖縄でお馴染みの上品な水イカ系ではなく、モンゴウイカ系であろうと推測した。

ロブスターサラダは、頭部と尾ビレの間にボイルしてブツ切りにした身を野菜の上に乗せただけのもので、胴体の殻を上手に活用していたわけでもなかった。

イタリアでサラダを食べる時は、ドレッシングなどは一切かかっていないのが普通であり、オリーブオイルやバルサミコ酢を自分でかけ、さらに必要に応じて塩や胡椒もかけて自分なりの味を整えてから食べることになる。最初は面倒だと思ったが、何日か経つとこれも苦痛ではなくなっていた。

その後のイタリア滞在で料理を色々比較して分かったのは、この店は単に観光客相手を専門とする手慣れたぼったくりの店などではなく、価格もこなれて味もよく比較的レベルの高い店ということだった。

このように実質1日目のイタリア滞在での魚料理は満足感も高く、この先まだどんな魚料理を味わえるのかと期待を膨らませながらホテルに戻ったのだった。


この日の予定は10時過ぎのイタリアの高速鉄道トレニタリアに乗ってフィレンツェまで行くことにしていたので、朝早く7時過ぎには魚市場に行き、市場に並ぶアドリア海の魚を見物することにした。

前日ガランドウだった魚市場の建物では、鉄架台が置かれ、細氷が敷かれ、その上に生魚がどんどん並べられて売場の準備が進行している途中であり、まだ開店には時間を要するという段階であった。

venezia

吹き抜けの建物の中だけではなく、周りの常設の魚屋店頭でも鉄架台が出され、次々とこれから魚を販売するための準備が整えられていた。その様子は以下の通りである。

ヴェネツィア魚市場
左から、マサバ、ヒメジ、赤舌平目 ヨーロッパイチョウガニ(ダンジネスクラブ)、ホタテガイ、へダイ サーモン、ヨーロッパへダイ、マトウダイ
クロガレイ、ムキアンコウ、テナガエビ 左端のサーモン胴切り以外は不明 メカジキ胴切り、キハダマグロ胴切り
クロガレイ、マトウダイ、生ダコ レタスを日本での檜葉のように使用 コーナーを立体化した陳列
メカジキの鼻先は切らずに陳列 アサリ貝は日本と同じネット入り 魚市場外の屋根付き魚屋の店頭
屋根付き魚屋さんの店頭陳列状態 立派な水槽もある魚屋さんの前には、日本人が発明した発泡スチロール魚箱が山と積まれ、お馴染みの風景だった。 たぶんこれは、日本と同じ干しダラ

 

この魚市場のピークは10時頃ということなので、まだ3時間も早く本当の姿はこんなものではないのかもしれないが、時間の制約上この程度で諦めるしかなかった。

ヴェネツィアの魚は全体的にどんな感じなのかを一言で表現すると、それは「北国の魚」だということである。魚市場には北海道で漁獲されるクロガレイがあったし、サンフランシスコなどで名物のダンジネスクラブも同じようにたくさん並んでいたことからすると、それらはまさに北国の魚の代表なのである。

分かりやすい例をあげると、筆者は10月29日の朝帰国し、11月1日に訪問を予定している厳寒の地の網走が北緯44度の位置にあるのだが、ヴェネツィアは更に少し北の北緯45度なのである。

それではヴェネツィアは網走のように寒かったかと言えば、朝夕は15℃以下になっても日中に20℃を割ることはほとんどなく、セーターも必要ない実に快適な温度で過ごせた。これは冬季も緯度が高い割にはあまり寒くなく、植物が成長する温暖な期間には小雨で、乾燥に対する適応が強い「地中海性気候」という温暖な気候のおかげのようだ。


東のアドリア海から西のリグリア海へ

イタリアでの3日目は、10時25分にトレニタニアという高速列車に乗ってヴェネツィアを離れフィレンツェに向かった。

   

ヴェネツィア サンタ・ルチア駅

フィレンツェに向かったのはフィレンツェそのものが目的ではなく、フィレンツェでレンタカーを借り、リグリア海に面したピサへ行ってリグリア海の魚を視察し、ピサとフィレンツェを往復する道中で郊外型スーパーを視察し、ついでにピサの斜塔も観光したいという計画だった。

ところがこの日はレンタカーでの移動で思わぬ計算違いが次々と出てきて、予定を色々と変更せざるをえなくなったのだ。

一つめの計算違いは、予定通り13時前にHertzへ行ったのだが、借り出し車両が清掃の準備をしているという理由でなかなか借り出せず、出てきた車両はたくさんの傷だらけの外観でその確認と同意に時間を要し、さらにはナビの設定その他で出発は1時間以上遅れたのだった。

二つ目の計算違いはピサまで片道1時間半の道中は、ほとんど自動車専用道路ばかりで途中に郊外型の店舗などは一つも見つからず、イメージしていたスーパーマーケットには出会わなかったことである。

三つ目の計算違いは「イタリアの運転マナーの荒さ」である。一番驚いたのが「交差点での右折や左折の時以外、誰も一人としてウインカーは使わない」のだ。高速道路ではウインカーを出さずに右へ左へ自由に動き回る車ばかりで面食らった。筆者は車の右側通行に不慣れで大変気を使っている中で、次々に幅寄せや割り込みをされたのではレンタカーという性格上気弱にならざるを得ないのだった。

四つ目の計算違いは、二日目の朝に右前のタイヤ異常警告灯が点きっぱなしとなり、これではこの先何が起こるか分からないと判断し、ガソリンを満タン返しせずにクレームを言って、早々に時間を余して車を返却した。

翌日昼過ぎにローマに出発するまでほぼ1日フィレンツェやピサを含むトスカーナ地方に滞在したのだが、結局はリグリア海の魚を確認することもなく、郊外型スーパーを見ることもなかったが、一つだけ唯一の収穫はピサの斜塔に登ることができたことだった。

上の左画像では斜塔の傾き具合がよく分からないと思うが、裏に回って一番傾いて見えると思われる位置から撮った右画像で、斜塔の大きな傾き加減が理解できると思う。両画像ともにまともな水平位置で撮影しているのかどうかを確認するには、左隅の下の方にある建物の屋根の角度を見れば、水平を保って撮影しているのが分かるはずだ。


古い歴史と石の重みを感じるローマ

25日13時過ぎにフィレンツェのマリア・ノヴェッラ駅を出発し、高速鉄道トレニタニアに乗って約1時間半でローマ・テルミニ駅に着いた。

翌日は丸一日、Myuという観光会社が主催する日本語ガイドツアーを予約していたので、この日は無理をせずに早めの時間からホテル近くのレストランで夕食の魚料理を楽しむことにした。

筆者が宿泊したホテル・ボスコロ・エクセドラ・ローマのほんの裏手にあるRistorante Cottoに入った。メニューを見ると魚料理をふんだんに使ったMenu dello Chef(シェフのお勧めメニュー)があったので、それを注文することにした。

          Tentacoli di Polpo* lardellato in crema di piselli e menta             クリーム状のエンドウ豆とミント味の油揚げタコ

海外でタコを初めて食べることになったのだが、意外や意外というもので実に美味しかった。揚げたタコにミント味のするエンドウ豆のクリームをかけるなんていう発想はいったいどこから来たのか、実に面白いと思った。

 

          Ravioloni di Cernia* eon ragu di gamberi al sentore di agrumi              クエのラビオリにオレンジ風味のエビゴッタ煮添え

ラビオリの中にクエの挽肉が入っているとの説明だが、クエはほとんど舌で確認できなかったけれど、外にかかったオレンジ風味のペースト状のものと一緒になったエビの存在は明確に感じることができた。どちらかと言えばエビの存在が際立っていた。

 

               Ricciola* in guazzetto con salsa verde                 ヒラマサのグリーングアゼットソース

ヒラマサの身が適度な大きさにゴロンと切られていて、一番魚らしさを味わえる料理だったが、刻んだバジルを混ぜたオリーブオイルが全体にかけられていて、その緑色の見た目はまるで抹茶のソースがかかっているようだった。

 

panna cotta パンナコッタ

デザートも非常に美味しくて、金色に縁取りされたココットの中にチョコレートがあるだけではなく、プレートまでチョコレートで絵のように描かれていた。それはゼラチンで固めた形をむき出しの状態で出すのではなく、ココットに入れた形で提供され、たっぷりのチョコレートが入っていて食べ応えもあった。

この Ristorante Cotto の「シェフお勧めコース」はこの内容で45€だった。魚料理を目当てにしていた筆者としては、これだけ充実した内容で味も悪くなく、トータルバランスはとても良かったので、コストパフォーマンスは十分の料理だと感じた。

上記したように、23日のヴェネツィアの夜のレストランも魚料理としてはなかなか良かったし、25日のローマのこの魚料理も非常に満足だったが、いつも上手くいくとは限らず、26日の夜は25日と同じようにホテル近くの別のレストランに飛び込んで大失敗の選択をしてしまったのだった。

Ristorante il Botticelliというその店は、料理を注文して20分過ぎても何も出てこず、一度料理が出てきたら次々と出てきてテーブルは一杯になる始末で、味も大したことはなく、美味しくないので大半を残して店を出たのだった。こんな店もあるという良い教訓になったのだが、その店がイタリア料理の印象を悪くしてしまったのは間違いない。

このようになった原因は、この日ローマ市内の観光で19,000歩以上、約15qほど歩き回って疲れていたので、もう色々とレストランを探し回る気力がなく、適当に見つけたからだった。同じローマ市内の前日の店のほんの近くに所在するレストランなのにこれだけの違いが出るのだから、同じレストランと名がついても本当に色々あるものだと思った。


翌日ローマのフィミチーノ空港からヘルシンキに飛ぶ飛行機の中で、筆者が感じたイタリアの印象は「今のイタリアは非常に古い歴史によって作られてきた石のように重い伝統や伝統的建造物を、イタリア国外から次々と流入する様々な人々によって軽くされてしまっているようだ」ということだった。

紀元前750年前後にエトルリア人がローマを建国して以降、イタリアはローマ帝国の中心として繁栄してきたが、その後分裂や統一を繰り返しながら3,000年近くの歴史を誇り、その長い歴史の遺物が今も各所に残っていて、ローマは歴史遺産の上に建てられているという感じである。

イタリア及びローマは大昔から世界の最先端的な知恵を誇っていたことは間違いないのだが、現在は知的レベルの平均水準がどんどん下の方に向かって弱まってきているのではないかと感じるものがある。その大きな要因として考えられるのは、中東やアフリカからの難民や移民の多さではないかと考えられ、本来のイタリアらしさとはどういうものか、聞きかじりの半端な知識では理解できない奥深さがある。

イタリアの魚料理というものが今回のたったこれだけの経験では何も分かったことにはならないのは承知している。だが今回本場イタリアの魚料理は現地でどんな形で提供されているのかの一端には触れることができた。

実は今回の旅で、魚料理という意味では次に1泊したフィンランドのヘルシンキの方が意外な面白い発見があったのだが、そこでのことはまた別の機会に記すことにしよう。

イタリアは面積的に日本より小さい国だが、今回訪ねたヴェネツィア、フィレンツェ、ピサ、ローマの四つの地域でも様々な地域性が感じられ、歴史的な長さだけでなく地域的な面白みも味わい深い国なのではないかと感じた。

イタリアを深く知るには、どれだけ時間があっても足りないようである。


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更新日時 平成29年 11月1日