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平成25年 8月号 No.116


イスズミ平造り


「海の磯焼け」という言葉は耳にしたことがあるのではないかと思う。

海の底の海藻が生えなくなる現象で「海の砂漠化現象」とも呼ばれている。

その原因の一つとなっているのが「植食性魚種」の爆発的増加というものである。

例えば下の画像のイスズミは植食性魚種の中の一種であるが、これらが集団で藻場を食い荒らすことが、磯焼け加速の原因ともなっているようなのだ。

この魚はスズキ目スズキ亜目イスズミ科イスズミ属イスズミに分類され、見た目ではほとんど見分けのつかない「ノトイスズミ」というイスズミ属の仲間もいる。

実はこの画像は未だイスズミなのかノトイスズミなのか明確には区別できていないのだ。

この区別のポイントについては「 れぐれぐ的八丈島図鑑」が詳しく説明しているので、そちらを参考にして、読者がどちらに属するのか判断していただきたいものだ。


誰も簡単に見分けがつかないほど似ている魚を峻別することよりも大事なのは、イスズミという魚が「海の磯焼け」の原因をつくっているという事実である。

この問題を放置すると、日本近海の漁業資源は大きな影響を受けることになり、日本の水産物の漁獲減少にもつながりかねない問題を含んでいるのだ。

この磯焼けという言葉は、元々伊豆半島東岸の方言で、寒天原料のテングサの漁場が衰退 してしまった状態を表現した言葉ということだ。

一般的に磯焼けという言葉は、藻場の枯死や衰退によって、藻場に依存して活きているイセエビやアワビなどの漁獲が、著しく減少してしまう現象を表す言葉として用いられている。

藻場というのは、海藻や海草がつくる森林状や草原状の群落のことで、魚介類の産卵や棲息の場所でもあり、沿岸漁業を支える重要な基盤なのである。

そして磯焼け現象が出て、藻場が減少する原因の一つとなっているのが、イスズミやアイゴ、ブダイといった植食性魚種の増加である。

この中のイスズミは大きな群れで藻場にやってきて海藻を食べ尽くすことがある。

しかしこの魚は市場ではまったく評価されず、商品として取引の対象とならないため、漁師さんの漁獲対象とならず我が物顔でどんどん勢力を増しているということである。


イスズミなど植食性魚種に共通しているのは「一種独特の臭い」がすることだ。

しかし例えばアイゴやブダイは、多少クセはあっても食べたらそれなりに美味しいので、地域によっては市場価値はそこそこ認められ、市場で取り引きされている。

過去に FISH FOOD TIMES でも、これら魚を取り上げているので参照してほしい。

No.91ゴマアイゴ薄造り(平成23年7月号)

No.31イラブチー薄造り(平成18年7月号)

しかしこの2魚種とは違い、イスズミは間違って網に入っても捨てられてしまうのだ。

なぜせっかく漁獲されても海に戻されてしまうような運命なのかと言えば、近畿地方などでは「ウンコタレ」とか「ババタレ」という俗称で呼ばれており、

徹底して馬鹿にされていて、魚市場での取り引き価値は全然ないからなのである。

イスズミにこんな可哀相な俗称が付けられている理由というのは、釣り上げた時、ショックの為かそれともイカ墨のように敵を攪乱するためなのか、釣り上げる瞬間の錯乱した時に、大量の排泄物を放出するからのようである。


このような扱いを受けるイスズミなので、スーパーの売場に並ぶことはほぼ有り得ず、釣りの対象魚としては人気があるので、普通は釣り人しか現認することは出来ないのだ。

上の画像のイスズミが筆者の手に入った経緯は、ある地方の漁港で定置網で水揚げされた魚が水槽に集められていたのを見ていた時、その中にイスズミが1尾だけ混じっていて、それが珍しくて興味を持って眺めていたら、漁師さんが「お金はいらないよ・・・」と気前よくタダで分けてくれたものなのだ。

筆者は大いに喜んだのだが、漁師さんはどうせ金にならない邪魔者でしかないのである。

厄介者イスズミは漁の対象にならないことから、勢力をどんどん増やしているようで、大きいものは70a以上の大きさにも巨大化しているとのことである。


筆者が漁師さんに頂戴したイスズミは全長30aくらいの魚体で、釣りをしない筆者は、嫌われ者のイスズミとは初対面だった。

巷で喧伝される「イスズミは臭くて食べられたものではない」というのは本当なのか、それはいったいどんな味なのか、興味津々で以下のように調理をすることにしたのだ。

 

腹を開けると、肛門の近くには排泄物の残滓のようなものが見える。

 

これは内臓の全体像である。鼻を近づけて臭いをかいだが特に異臭はなかった。

 

内臓を除去した後の腹腔内部も臭いをかいだが、ここでも異臭は感じられなかった。

 

三枚におろした身の色は、少し暗い茶系で、赤い色は弱い。

 

皮をすいた皮目の色も、赤というより、暗くて土色に近い感じである。

皮目の脂肪部分にも鼻を近づけて臭いをかいだが、ここも異臭は感じられなかった。

そしていよいよ試食である。

味わってみると、それは「旨い!・・・」の一言だった。

脂も乗っていて、身を噛んでいくと、旨味がジワリと溶け出してきた。

何らクセもない、臭いもない、どこが不味いのだ・・・、と言いたくなった。

そこで、私の舌や嗅覚が前夜の多量のアルコールで鈍っているのかもしれないので、イスズミという魚の名前は伏せて、他の人にも食味実験をしてみることにした。

すると、複数の人達のほぼ全員が私と同じような意見だったのである。

まことしやかに伝えられている「イスズミは臭くて食べられたものではない」とは、どこの誰の意見なのだと言いたくなってしまった・・・。

季節としては7月初めの時期に、漁獲されてから数時間という条件であれば、「イスズミは美味しく食べることが出来る」ことを自らの体験で証明できた。

そして今度は少し過酷な実験として、片身を敢えて常温に5時間ほど放置してみた。

そのような条件の場合、臭いがどれほど発生するのかも実験してみたけれども、やはりなんら異臭が漂うような状況は見出すことが出来なかったのである。


巷のイスズミに対する否定的な意見を覆すにはあまりにも実験数が僅少であり、筆者の体験を声高に一般論へと結びつけるには無理があることは承知している。

しかし、イスズミは不当な偏見から邪険に扱われているという気がしないでもない。

イスズミは「臭いが強い」から「食べても美味しくない」との一般論なので、美味しくないから「価値がない」につながり、価値がないから市場で取り引きされない。

市場で取り扱ってもらえないから「漁師さんが漁獲をしない」のであり、イスズミは漁獲されないから、海の中でのさばって藻場を食い荒らす。

そしてその結果、藻場が減少して磯焼けが起こり、漁業資源が衰退している。

このようにして、現在の日本近海での漁業の危うい構図が透けて見えてくるのである。


こういった日本漁業の危うい構図をなんとかしたいと立ち上がった人達がいる。

福岡市の中村学園大学が、イスズミを材料に使った「たべてみ天」という名称の、「てんぷら(さつま揚げ)」を開発したのだ。

この商品のことは中村学園大学のプレスリリースで発表されているので参照してほしい。

筆者も実際に博多駅でこれを購入して食べてみたのだが、味はサッパリとクセがなく、変に甘くもなく、素朴な感じに仕上げられている。

方言色の強いネーミングや、まるで子供の粘土細工のような商品形態など、あまり洗練された商品外観とは言い難いけれども、その味は奇を衒うことのないオーソドックスなものである。


もし、この「たべてみ天」という商品が今後どんどん売れていくことになれば、

これまで商品価値のなかったイスズミは多少見直されることになるだろう。

漁師さんは売れる価格がそれほど高いものではないとしても、少なくとも確実な売上げになることを喜んでくれるはずである。

何より漁師さんにとっても厄介者であるイスズミを減らすことにつながるのだから、一石二鳥の歓迎すべきことと捉えてもらえるはずである。

しかし今のところ販売ルートは博多駅売店キヨスクの2カ所のみのようであり、いわゆる「お土産感覚のレベル」だけでは販売量にも限界があるはずだ。

やはりスーパーやデパートなどの量販店で、桁の違う数量を扱うようにならなければ、本当の意味で「磯焼け現象防止」という成果まで結びつけていくことは難しいだろう。

「たべてみ天」を商品化することになった要因というのは明確であり、 これはソーシャルビジネスという社会貢献活動の一環として捉えることが出来る。

今時てんぷら(さつま揚げ)商品はこの世に数え切れないほどある中で、商品購入という行為そのものが社会の役に立つことになることが明確な場合は、他の商品にはない強いアピールポイントになるはずである。

量販店にとっても数ある様々な商品の個々の差別化が簡単にはできない中で、お客様に「購買行動が社会貢献になる」という側面を訴えることが出来る商品の存在は、売り手側も社会貢献活動を行っているという自負にもつながることになるだろう。

スーパーの魚売場で真空袋に入れられたてんぷら(さつま揚げ)を見ることが多いが、「たべてみ天」のように社会貢献の明確な目的をもった商品を見出すことはない。

出来ることなら量販店関係の読者は、この商品を店で扱うことを検討してもらいたい。


量販店の水産部門が将来的に魚売場の持続的発展を望むものであるならば、日本近海の漁業資源がこの先衰退していかないようにすることが重要であることは、今の水産部門の環境を知る者達は、誰にも増して重々承知しているはずだ。

先ずは量販店水産関係者が出来るほんの小さな仕入れと品揃えからスタートし、店に来店されるお客様一人一人に声を掛けその購入を促すことだ。

その一つ一つの積み重ねが全国に広がっていけばそれが大きな数量となって、「磯焼け現象の防止」へと確実に近づいていくことになるはずである。

日本は古来からの魚食民族であり、海に囲まれた海洋国家である。

その礎をなすのは日本を取り巻く海の漁業資源である。

漁業資源を枯渇させてしまえば、国家として礎の一つを喪失することになるのである。

「まず隗(かい)より始めよ」


更新日時 平成25年 8月1日


 


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