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鮮魚コンサルタントが毎月更新する魚の知識と技術のホームページ
令和 6年 6月号 246
ハマフエフキ
3年前まで13年間
タマン、この魚を見ると直ぐに沖縄を思い浮かべてしまう、自分にとってはそんな存在の魚である。そういう気持ちなるのは、沖縄という地がまるで第二の故郷のように、懐かしくも思い出深い特別な思いが詰まっているからなのだ。
遡ること2008年の4月から3年前の2021年2月まで、筆者は沖縄のあるスーパーの水産部門を13年間コンサルティングした。2008年の当初は沖縄のスーパー3社を掛け持ちで、日曜夕方から土曜夕方までの6泊6日連続の1週間滞在し、各社の水産部門をコンサルティングしていたが、その内2社は3年で契約が終了し、残りの1社とはその後13年の間にわたり毎月2日から3日水産部門を指導したのだった。
13年間指導が続いた会社の水産部門売上は毎年伸び続け、コンサルティング開始から9年後の2016年度には、2008年度対比で200%を超える売上増を記録することになった。この間に店の数は10店舗から13店舗へと小型店が3店舗増えただけであり、店舗数が2倍に増えたことによって売上も2倍に拡大したのではなかったのである。
筆者がおこなったのは、水産部門の方向性や考え方のコンサルティングだけでなかった。筆者自身が現場で包丁を持って、マネージャークラスへは毎月商品改善や販売方法の提案をし、そして担当者クラスへは知識教育と包丁技術訓練、またパートクラスへの刺身技術訓練などをおこなった。更に別途に企画された2週間連続での新入社員教育なども含め、多面的な教育をおこなったことも売上増の一因になったと考えている。
上記した数値は意図的に何らの「盛りも色づけ」もしていない。当時この会社の関係者であれば誰もが当たり前に知っていた真実であり、筆者が自慢をするために脚色した架空の数字ではないことを断言しておきたい。またこのように数値が改善されたことで、会社全体における水産部門の売上高構成比はこの間にほぼ倍増し、社内での存在感が大きく高まることになり、社内での魚売場の重要度が増していったのだった。
しかし、2017年から会社の方向性を大きく左右する「社内改革」という名の施策がスタートした。このことで、それまで築いてきた路線が根本から大きく変えられることになっていった。当時、社外から招聘された社長の名代として先頭に立って動くことになった人材は、その会社の抜本的改善をおこなうには明らかに能力不足だった。彼の人を人と思わないような荒っぽいパワハラ的運営手法もあって、社内の人心はバラバラの状態となり、会社は音を立てて崩れるように、スーパーマーケットとしての魅力を無くしていったのだった。
そして、こうした社内の混乱状況に加えて、そこに冷や水を浴びせるようにコロナ禍が追い打ちをかけることになり、コロナ禍による業績悪化を名目として、2021年3月から筆者は14年目の水産部門指導がなくなった。
ちなみに、社外から招聘された人物はその会社を何ら良い方向に改善できず、2022年の秋には社長代行の職を外され、関連会社の閑職に回されていると聞いている。
タマンの名称
沖縄を毎月訪問していた後半の方の何年間は前泊を含めて3泊3日でこの会社の仕事をしていた。3泊とも行きつけの馴染みの居酒屋で泡盛を浴びていたのだが、酒を媒介として親しい人の数が増えていき、こういう夜の楽しみも充実していたこともあって、筆者は沖縄の風土や人々にどんどん惚れ込んでいった。
沖縄において、筆者が提案する商品内容や運営手法を沖縄の人たちがすんなりと受け入れてくれたかと言えば、それはまったくそうではなく、3社の内の2社は会社の方向性と筆者の考え方が3年間で一致することなく袂を分かったのである。そして1社だけは、社内の一部に筆者の考え方に賛同してくれる力強い応援者がいてくれたことで、その人たちの協力姿勢が後押しとなり、水産部門は数字だけでなく中身も良い方向へと変革していくことができたのだ。しかしそういった力強い応援者の方々は、社外から舞い降りてきた社長代行の人物が強引に進める社内変革という愚策に着いていけず、その後櫛の歯が欠けるように次々とその会社から去ってしまい、2017年1月に東京商工リサーチが2015年度九州沖縄元気印企業の第5位にその企業を選んだ頃の会社とは様変わりし、今はもう別会社のようになってしまっているようである。
沖縄に行き始めた2008年当時、筆者はタマンなど南西諸島の魚のことを全く知らないわけではなかった。その当時、鹿児島県奄美大島に指導先スーパーがあったし、前後して喜界島や徳之島にも水産部門指導の仕事で毎月通ったりしていたことから、南西諸島の魚にはそれなりの知識は持ち合わせていたのである。またそれまでも九州南部の鹿児島県のスーパーで指導先が絶えることはなかったので、そこでも南西諸島の魚に出会うことは珍しくなく、筆者は「南の海の魚」については知識はある方だと自認していたのである。
ところが鹿児島県本土と南西諸島の島々、そして沖縄県という比較的近在の地域においても、魚の呼び方は違ってしまうのである。例えばハマフエフキの沖縄での地方名はタマンであるが、鹿児島本土はタバメ、南西諸島ではクチビ、タマミなどの魚名となり、その他に全国の地方ではさらに様々な呼び名となるのだ。筆者は西日本を中心とした各県のスーパーに行って水産部門のコンサルティングをしてきたので各地に魚の地方名があることは重々承知しており、ヤリイカがある地方では赤イカと呼ばれ、別の地域では白イカという名称になることにも何ら抵抗はなく、その地域の名前に筆者の方が合わせることにしてきた。
フエフキダイ科フエフキダイ属には似たような姿形の仲間が20種類近く存在しているが、特にハマフエフキ(タマン)とフエフキダイ(ヤキタマン)は、横に並べて置かれても自信を持って区別できるかどうか自信がないほどそっくりであり、これらは区別せずにタマンの一言で呼ぶのが一番都合が良いのだ。更に言えば今となって告白すると、筆者は沖縄の似たような姿形の魚をその地方名でしっかり区別できるほどの知識は実際のところ持ち合わせていないのである。
筆者にとって、タマンは沖縄の地でイラブチ、マチ、ミーバイなどと共に印象深い魚の一つである。タマンは、昭和51年(1976年)から沖縄県水産試験場八重山支場(現沖縄県水産海洋技術センター石垣支所)で種苗生産研究が開始され、昭和54年(1979年)に世界で初めて種苗生産に成功している。このため、随分前からタマンは種苗生産対象魚種として放流用・養殖用に生産されていて、魚売場にも安定して顔を見せる沖縄を代表する魚の一つなのである。
沖縄を代表する魚は、三大高級魚として、アカジン(スジアラ)、アカマチ(ハマダイ)、マクブ(シロクロベラ) が挙げられるけれど、筆者としてはイラブチやミーバイと共にタマンは沖縄を代表する魚と見ている。そのタマンをこれまで何度も現場では包丁で扱いながら、FISH FOOD TIMES のテーマとして記事にする機会がなく、その内に採りあげたいとは思っていたのだが、やっとそのチャンスがやってきたので、以下にタマンについて、正式和名ハマフエフキの名称を使って記していきたい。
ハマフエフキの料理
ハマフエフキは南西諸島の一部でクチビとも呼ばれていると上記したが、クチビの字は口美が語源のようであり、実際に口の中は以下の画像のように鮮やかなオレンジ色をしていて、口が美しいと言えばそうとも言える。(念のために下画像の口の中にある白い棒は、口を開けて写真を撮るために支えとした爪楊枝であることを補足する)
購入した3.1kgのハマフエフキは刺身、鮨、ムニエル、兜煮の4種の料理にして食したので、それらを以下に紹介したい。
先ずは、兜煮用の切身をつくる作業工程である。ハマフエフキは突き出た唇のある顔が大きく、これを単なるアラとして二束三文にしてしまうのはもったいないと考え、可食部分を多めにして価値感を高め、ボリュームのある兜煮用の切身とした。
ハマフエフキの兜煮用切身作業工程 | |
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1,比較的大きめのウロコを取り除き、エラと内臓を除去したハマフエフキ。 | 6,背ビレを包丁の刃元で切り落とす。 |
2,刺身と鮨にする前提で、頭部と胴体の間に中骨まで切り込みを入れる。 | 7,胸ビレ、腹ビレ、尻ビレなど全てのヒレを切り離し、除去する。 |
3,下身の尻ビレの際から中骨を超えて切り進み、背ビレ際まで切り開く。 | 8,トリミングを終えた状態。 |
4,魚体は前後を入れ替えず、そのまま背ビレ際から尾ビレ際まで切り開く。 | 9.頭部にカマだけを残さず、可食部を多目に残した形でカットする。 |
5,頭部を付けたまま、下身だけを分離した状態。 | 10,可食部が大きく目立つようなバランスに切った兜煮用の切身。 |
ハマフエフキの魚体は3kgの重量があったので頭部も大きく、可食部分を多くした兜煮用の切身にすると大きくてボリュームがあり、煮魚が好きなお客様にはその価値をアピール出来るだろうと感じた。これを実際に煮魚にしてみたのだが、頭部は厚みがあるので鍋の深さを選ぶのに悩むほどであり、煮汁を相当多めにしても不足感があり、お玉で煮汁をかける回数がとても多くなってしまった。
ハマフエフキの兜煮料理工程 | |
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1,煮立った煮汁に、一寸の長さに切ったゴボウとスライスした生姜をいれる。 | 3,落とし蓋をして暫く煮込む。 |
2,煮汁は深鍋に多めの量を入れておき、そこに大きな頭部を入れる。 | 4,頭部表面に煮汁が回らないので、お玉で何度も何度も煮汁を掬ってかける。 |
5,可食部分が多いハマフエフキの兜煮 |
次は兜煮用切身をつくった後に残る中骨付きの上身を商品化していく。兜煮用切身の価値を高めるために頭部の方に可食部分を多く確保したことから、中途半端な上身が残ることになる。しかし魚体が大きいので、何ら問題なくムニエル用の切身が2切れ確保できる計算である。
ハマフエフキのムニエル用切身作業工程 | |
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1,兜煮用の切身を分離する。 | 6,上身の腹骨を除去する。 |
2,頭部がない中骨付きの上身としては中途半端な大きさが残る。 | 7,上身としては少し中途半端に短い形になった状態。 |
3,背ビレ際に切り込みを入れ、山高骨の方へと切り進む。 | 8,ムニエル用の切身をつくるため、尾部をトリミングして形を整える。 |
4,山高骨を超えて、尻ビレの方へと切り進む。 | 9,出来るだけ大きさが均等になるようなバランスで二つに分ける。 |
5,尻ビレの際を切り開き、尾ビレの方へと切り進み、上身を分離する。 | 10,ハマフエフキのムニエル用切身商品が完成。 |
白身のハマフエフキは、どんな料理でもすることが出来る万能性を持ち合わせている優等生である。今回は奇を衒わずムニエルにすることにしたが、食べてみると皮が良いアクセントとなって美味しく、ムニエル料理にしたことは正解だった。
ハマフエフキのムニエル料理行程 | |
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1、切身に塩コショウをまぶす。 | 4,フライパンに切身を入れる。 |
2,小麦粉を切身表面全体につける。 | 5,大きいハマフエフキは身が厚いので蓋をして芯まで火の通りを良くする。 |
3,フライパンにバターを溶かす。 | 6,皮目の色つきが良くなるまで焼く。 |
7,魚体から滲み出たエキスが混じったバターを上からかけて完成。 |
ハマフエフキの刺身と鮨
さて、次は下身を使用しての刺身と鮨をつくる工程である。3kgの大きさの白身魚なので、意識的に繊細な切り方を心がけた。
ハマフエフキの刺身と鮨の作業工程 | |
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1,皮が付いたままの下身。 | 7,腹身を炙りにする。 |
2,血合い骨を腹身の方に残して、背身と腹身を分離する。 | 8,バーナーで炙りを終えた状態。 |
3,背身の皮を外引きで除去する。 | 9,炙りにした腹身をしっかり冷やし、必要分の鮨ダネをカットする。 |
4,背身の皮を除去した状態。 | 10,皮なしの背身をそぎ造りで刺身にする。 |
5,背身を鮨ダネにカットする。 | 11,炙りの腹身をそぎ造りで刺身に盛りつける。 |
6,背身の鮨ダネを必要分確保したら、腹身の血合い骨を除去する。 | 12,最後に刺身材料の残りを適度に配分しながら刺身の仕上げをおこなう。 |
ハマフエフキのにぎり鮨 | |
ハマフエフキの刺身 |
ハマフエフキのような生魚の品揃え
これで3.1kgのハマフエフキ1尾を、内臓、中骨、ヒレなどを除いて、ほぼ残らず使い切った。これらが出来上がって食卓に並ぶとまさに豪勢なものであり、夫婦二人ではとても食べきれず、三〜四人は十分に賄いきれると感じた。
ハマフエフキという魚は滅多に手に入らない希少な魚ではない。天然でもそれなりの資源があることから、釣り人にも人気の魚であり、上記したように沖縄では種苗生産、放流、養殖もおこなわれているので、その気になれば比較的手に入れやすい魚と言えよう。
ところが、このハマフエフキという魚がスーパーの魚売場に丸魚の姿で並ぶのを期待しても、その可能性はほぼゼロであり、それなりに品揃えの良いと評判の魚専門店であればこの魚に出会えるかもしれない。しかし、仮にある魚専門店にこの魚の入荷があったとしたら、担当者は直ぐに顧客の居酒屋さんや料理屋さんなどに電話して売り込みを図るに違いない。残念なことに、そういう傾向はますます強まっていて、スーパーの魚売場においては鮮度の良い丸魚の品揃えがどんどん弱体化していて、今やスーパーの魚売場は養殖魚・冷凍魚・塩干魚の売場のようになってきている事実は否定できないのだ。
筆者は今回のハマフエフキをどうやって手に入れたかと言えば、「何か面白い生魚が入荷しているかもしれない・・・」と期待感を抱かせてくれる、いつものスーパーの魚売場でゲットしたのである。この魚売場の生魚の品揃えは、九州でも指折りの上位に数えられるはずで、全国的に見てもこれだけの生魚の品揃えをしているスーパーマーケットの魚売場は他になかなか存在しないと筆者は評価している店である。現時点ではその魚売場の具体的な数字を知っているわけではないけれど、筆者はこの会社の水産部門を過去に5年ほど指導していたことから、この店に魚を購入に行って責任者と話してみると、おおよその数字の推移は推測できるのである。その店の魚売場の売上は、小さな店の規模からすると部外者はとても想像できないほど素晴らしい大きな水産部門売上高を誇っているのである。
この魚売場は、魚を料理材料として使いたいけれど魚市場に仕入れに行くほどの量は必要ない、という規模の業務筋関係者に重宝がられている。豊富な生魚の品揃えの中から1尾単位、もしくはそれ以下で必要量を仕入れできるし、調理も気持ちよくスピーディーにやってくれることから、車で1時間以上の時間をかけてわざわざ来店されるお客様を数多く抱えている店である。
筆者も自宅から行くには1時間以上の時間がかかるが、その店を訪問すると水産部門責任者だけでなく、かつて知ったる皆さん方が、特に仕事上での関係がなくなっている今でも、私のことを「先生、先生・・・」と声をかけてくれて、本当に良くしてくれるのである。このFISH FOOD TIMES が今でもこうやって継続できているのはこの店のお陰と言っても過言ではなく、筆者は本当に心から感謝しているのだが、そのことを皆さんに十分に伝えきっていないという後ろめたさを抱えている。
この店を頼りにしているのは筆者だけでなく、数多くの顧客が口には出さなくても同じような思いを持っているに違いないと思われるが、それは今時この店のように素晴らしい生魚の品揃えしている店を他に探すのはなかなか簡単ではなく、近辺ではほぼ不可能に近いからである。
このような魚の購入に関する悩ましき実態は、実は顕在化していない隠れたニーズであることをほとんどのスーパーの経営者は理解していないようである。魚という商品は昔と違って今は売れないものだという偏見がスーパー業界でまかり通っているようなのだが、それは自分たちがこれまでおこなってきた誤った施策や逃げや怠慢の結果であるにもかかわらず、魚離れといった一般論の口実に責任転嫁しているのだ。
スーパーの水産部門は儲からないのではなく、本気で魅力のある魚売場をつくろうとしないで、何の特徴もなく差別化もできない中途半端な魚売場を運営することで茶を濁しているスーパーに対して、お客様は愛想尽かしているのだ。本当の魚好きのお客様は、例えば上記した店のように本格的な品揃えの魚売場を運営する店に、遠くてもわざわざ時間をかけて行くようになっていて、中途半端な魅力のない魚売場の店はますます売れなくなっているのである。
これからは更に本気度が問われる世の中になって優勝劣敗の傾向が強まり、中途半端な魚売場は淘汰されていくに違いない。お客様から「この店がなくなったら本当に困るから、自分なりにこの店をしっかり支えていこう」と思ってもらえるような、そんな存在感のある店でありたいものである。
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水産コンサルタント樋口知康が月に一度更新している
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更新日時 令和 6年 6月 1日