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鮮魚コンサルタントが毎月更新する魚の知識と技術のホームページ
令和 3年 9月号 213
魚屋は真夜中に刺身を引き始める
ベストセラーとなっているらしい
8月下旬になってのことだが、気になるタイトルの本がベストセラーとなっているとの情報を得たので、8月23日(月)にアマゾンに注文し、その本は24日の午後に自宅の郵便ポストに投函されていた。翌日25日朝8時からこの本を開いて読み始め、ちょうど4時間後の12時に読み終えた。
ペーパーバック2色刷299ページ、税込み1,500円のこの本は行間が広く平易な文章なので、4時間もあれば楽に読み終えることの出来る内容である。筆者はそのタイトルに惹かれたのだが、FISH FOOD TIMESの読者諸氏もその仕事上から関心を抱く方が多いはずだと考え、この本を9月号で紹介することにしようと考えた。
そこで「百聞は一見にしかず」の箴言に従い、26日朝の福岡空港8時15分発JAL便で東京に向かい、時間の許す範囲で東信水産の魚売場を訪問して実態を確認した。そして各店でプロセスセンターで製造されたと思われるいくつかの刺身を購入し、事前に準備し携帯していた保冷バッグに入れ、26日18時05分羽田発JAL便で福岡に持ち帰り、21時頃になってこれらの刺身を妻と一緒に食した。
刺身の味の感想を述べるのは後回しにすることにして、筆者がこの本に記されている内容に対して、上記したような行動を執り、9月号で採り上げ紹介するほど大きな関心を抱く理由を先に記しておきたい。
刺身のアウトパック販売反対論者
筆者は1990年から鮮魚コンサルタントの仕事を開始し今年で32年目を迎えた。ご多分に漏れず筆者もコロナ禍による影響で昨年から仕事は激減したけれど、長年のお付き合いをしてくれている会社を中心に今も現役で仕事を継続させていただいている。
筆者は基本方針として、常に明確な意思表示をしてきたものの一つに、「プロセスセンターで製造された刺身を魚売場で販売することに反対」というものがある。つまり、この本に書かれていることと反対の考え方を持っているということをここで言明しておこう。
この考えは筆者自身が味わった過去の苦い経験から学んだ経験則があるからである。確か約41〜2年前の1979年から1980年前後にかけての頃だったと記憶しているが、筆者はその当時あるスーパーマーケットを運営する会社の水産部門で本部マーチャンダイザーの職にあり、その会社の業務命令で刺身だけでなく生魚切身や冷凍魚、塩干魚などを商品化するプロセスセンターをゼロから立ち上げることに関わったのだ。
筆者が属していた会社は1895年(明治28年)に福岡市で呉服店としてスタートし、1953年(昭和28年)に博多区祇園町で百貨店を開業し、更に1958年(昭和33年)には福岡市内にスーパーマーケット1号店をオープン。その後多層階で衣料や家電まで含めたフルライン大規模スーパーを主体にチェーンの展開をおこない、福岡県内に留まらず九州各県、及び広島、大阪、奈良などへ、第一種大規模小売店舗として括られた大型スーパーの出店を重ね、一時期は九州の小売業の雄として全国的な規模でも指折りの売上を誇るスーパーマーケット運営会社となっていた。
当時の小売業界は日本全国で似非百貨店とも称された大型スーパーが勢いを増して売上を伸ばしており、百貨店はそのあおりを受けてシェアを奪われ勢いをなくしつつあった。それまでの小売業界の王者だった百貨店は自分たちの生き残りを賭けてスーパーマーケット業界の勢いを削ぐ法律の制定を政治家に働きかけた。そしてそれまでの百貨店法を廃止して、その替わりにスーパーマーケット業界の出店抑制を主な目的として1974年に施行されたのが「大規模小売店舗法」である。第一種大規模小売店は3,000平米 、第二種大規模小売店は面積500平米以上の店などを出店する際、開店日、店舗面積、閉店時刻、休業日数の4項目について「大規模小売店舗審議会」(大店審)が審査を行う事前調整出店規制を受けなければならなかった。
全国のスーパーマーケット各社はこの面倒な規制から逃れるために、事前調整審査が必要のない500平米未満の店舗面積で進出するという対策を打ち、筆者が属していた会社もこの方法に取り組むことになり、それまでまったく経験がなく未知の分野である小型店舗、いわゆる「150坪店舗」での店舗展開を目論み、その目的を遂行する手段の一環としてプロセスセンターを設立し、そこから省力化した小型店舗へ商品を供給する基地とすることにしたのだった。
会社はプロセスセンターの稼働と同時に、確か3店舗をほぼ同時期にオープンさせ、既にそれ以前から機能していたミートセンターからは肉のセンターパック商品、そしてゼロからスタートしたフィッシュセンターからは、刺身を始めとした水産商品すべてが商品製造のためのバックヤードを最初から完全に省いた150坪店舗へ供給され始めたのである。
その結果、出店費用コストだけでなく運営コスト面も大幅にカットした150坪店舗は利益がでる程度に繁盛したのかと言えば、どの店もお客様からは全く支持されず完全な失敗に終わったのである。その後地域の雄として大きな売上を誇っていた会社は様々な不振要因を抱えることになり、当時日本一の売上を誇ったスーパーに吸収合併され、経営陣は入れ替わり屋号は消滅した。
プロセスセンター製造商品が抱える問題
当時のことを振り返ると、本当に痛ましいほどの惨憺たる状況だった。筆者は運営責任の一端を担う一人として状況把握のため、プロセスセンターの近くに出店した150坪店舗の一つを頻繁に訪問し売上改善の方法を探った。しかし、それはまさに「負のスパイラル現象」そのものの状況であり、発注管理を任されたパートさんからの注文は日を追うごとに減るばかりであり、まったく手の打ちようがないほどになっていったことを記憶している。
敗因は一つではなく色々なことが重複していたと思うが、何しろ40年ほど前のことなので全てを詳しく覚えているわけではなく、幾つかの印象深い感想を以下に挙げてみたいと思う。
その一つは「価格が安くない」ことだった。なぜ高くなってしまったのか、その原因はセンター運営に際してどうしても最低限かかる経費を、センターから出荷する総パック数で割り算すると、当時フィッシュセンターがスタートした時点で分母となるパックの絶対数が少なすぎてとんでもない高い原価になったからだった。まともな計算をすると、どれも売り物にならない原価と売価になってしまうので、色々とやり繰りして調整し店に出荷するのだがそれも限界があり、総じて割高な納品原価と低く抑えた値入率にもかかわらず高めの売価になってしまって、これがお客様には不評だった。
二つ目には、新規オープンした150坪店舗の魚売場には魚のことが分かる男性社員がいないので、店では魚のことでお客様の疑問に答えることが出来ず、魚の調理要望にも応えることも出来ない。さらに売場で売り切れた商品の追加をお客様から希望されても、バックヤードに在庫はないので翌々日にしか商品は入荷しないことをお客様に告げると、別の店に向かっていかれてチャンスロスとなるなど、サービス面での機能がほとんど欠けていたのだ。
最後の三つ目に、一番問題を感じたこととして、魚売場の華である「刺身が美味しくない」という決定的な不評の要因だった。その主な原因はプロセスセンターで製造して最短でも8時間、下手をすると20時間もの時間が経過した刺身はお客様が食べる時点において当然ながら鮮度が落ちていたからだった。死後硬直のコリコリ感などはもちろんあるはずはなく、刺身の表面が乾燥したり、変色したり、プロセスセンターから店へトラックで運搬途中の揺れによって刺身は形を崩し、見た目が悪くなって美味しそうに見えないことなどもあった。周辺の競合店と比較して売価は決して安いとは言えないプロセスセンター製造の刺身は売価だけ一人前なだけで、商品力という意味ではほぼ売り物にならなかったのである。
あの当時の経験から筆者が学んだことは「売り手発想の限界」というものだった。
プロセスセンターを作る原点となった考えは、会社が多店舗展開する上で障害となる法律の網を潜り抜けるにはどうするかということからきており、そこには会社を運営するための売り手側の都合が一番前の順番に存在していて、どうやってお客様に美味しい刺身を提供し喜んでもらうか、といった「商い」をするうえで非常に大事な「買い手側の都合を慮った配慮」は、二の次三の次に位置づけされていたことから新規事業として上手く機能しなかったのだ。
東信水産プロセスセンター製造の刺身商品
さて、それから約40年後の今年7月に出版されたのが「魚屋は真夜中に刺身を引き始める」という表題を掲げた本である。東信水産の織茂信尋社長が自ら執筆されベストセラーになっているとのことだ。
筆者はこの本の内容について批判がましくとやかく言うつもりはない。それぞれがそれぞれの立場で生き抜こうと努力しており、東信水産も一時期赤字に陥っていた会社を4代目となる現在の織茂信尋社長が必死で建て直したという経緯をこの本で知り、そのことを筆者は賞賛こそすれ頭から否定するつもりは一切ない。
この考え方と方法について誰がどう受け止め、どう評価するかは各人が自分で判断すべきことだと思う。しかし筆者は今更このような方法を立場として自ら推奨することは決してないことは断言できる、織茂信尋社長が推し進める考えや方法とはまったく違う方向性を今後も執り続けることは間違いないが、やはり筆者は口先だけを弄し現実の姿も知らずに自分の考えを正当化するようなことはしたくないので、8月26日(木)に東信水産店舗の実態を確認するため福岡から東京へと日帰り行動をとったのである。
東京に着くと、11時20分には荻窪の荻窪タウンセブン地下にある東信荻窪総本店に入ることができた。いったいアウトパックのセンター製造刺身はどうなっているのだろうか、と興味津々で刺身売場の隅々まで目を凝らしたが、センター製造刺身と明確に分かるものがなかなか探し出せなく、どれが店舗製造でどれがセンター製造刺身なのか簡単には判別できなかった。
11時過ぎの時点で、広い刺身売場はほぼ満杯の状態に商品で埋まっていたので、センターで集中製造する合理的な力というのはたいしたものだと思う反面、アウトパックのセンター製造刺身というのがよく判別できないというのは本当にこれで良いのかと感じるものがあった。
刺身売場を更によく見てみると、これが判断材料ではないかと思われるものが少しだけ陳列されていた。
刺身パックの後ろから裏側にかけてシールが貼ってあり、そこには加工者が東信館と記され、住所は杉並区南荻窪3-32となっていた。東信総本店の住所は杉並区上荻1-9-1なので、明らかにこれがセンターパックの刺身というのが判断できた。
ところが、この裏貼りシールを貼った刺身は非常に少ないのである。刺身売場全体の商品アイテムからすると10分の1どころではなく20分の1のレベルの存在感しかないと感じた。この印象は総本店に限らず、その後訪問した小田急百貨店新宿店、中野マルイ店、日本橋浜町店でも感じたことであり、店によって構成比の違いはあれど、その存在感は似たようなものであり、想像していた現実とは随分違う希薄な存在感しかないと思った。
刺身売場の商品を一つ一つ確認しながら感じたことは、随分割高な売価設定だなということだった。結局この日3店舗で3パックの刺身と昼食用に1パックの鮨盛り合わせを購入したのだが、魚の市場相場を知っている筆者は推測レベルではあるが刺身や鮨の原価計算がある程度できるので、「ふ〜ん、これが東京の売価状況なのか・・・高いものだ・・・、自分の関係先ではとても売り物にならないだろう」と思うことになったのだ。
そこで、この日筆者は3店舗で購入した刺身はすべてセンター製造刺身でありながら、しかも各店でお買い得サービス品として販売されていた少し割安な商品だけを購入することにした。
東信総本店で購入したのは以下の画像である。
この刺身盛り合わせは1,380円売価でお買い得サービス品として販売されていた。パックされた状態での見た目の特徴としては、大根のツマが必要以上に多く盛られていて、魚3種類の刺身すべてが透明の上蓋に接触していて、上蓋も比較的狭いタイプが選ばれ、刺身が横移動しないようギューギュー詰めになっていた。この状態はプロセスセンターから店舗への運搬途中、元の刺身を盛りつけた状態が揺れて崩れないようにするための工夫であると判断した。
福岡に持ち帰って蓋を外した状態が以下の画像である。確かに当初盛りつけられていた基本的な形は崩れていないように感じるものの、刺身技術者がしっかり丁寧に商品化したのだろうけれど、その見栄えはもうひとつ残念なレベルだと感じた。
刺身はどれも薄造りの技法で切られているようであり、刺身の平造り技法で刺身を引いた時に出る鋭角的な切角の特徴はまったくでていなかった。たぶん平造り技法での盛り付けが前提となると、せっかくの平造りで鋭く立った切角が押さえつけられ潰れてしまうはずであり、この盛り付けには平造り技法を使っての商品化は難しいだろうと判断した。
この日帰宅してこの刺身を食べたのだが、どれもが全く歯応えはなく柔らかいので、自宅で一緒に刺身を食した妻の表現を借りると、この刺身盛り合わせだけでなく、他の東信水産店舗で購入したヒラメ刺身なども含めた食感の印象は、「シャキッとせい!・・・、ケツバットするぞ!」と言いたくなるそうである。
次に荻窪駅から中野駅へ行き、中野マルイ店の地下にあるピーコックストアにテナントで入っている東信水産魚売場に立ち寄った。この店は昔の大丸子会社の頃からのピーコックストアという店名が存続しているものの、今はイオンマーケット株式会社としてイオングループの傘下にあり、店内の様子からして生鮮売場にはあまり力が入っていないと感じられた。
その店は都市型ミニスーパーという分類に入る小型店舗で、魚の作業場はとても狭く、その日は男性一人女性一人で魚売場を切り盛りしているようだった。これこそ東信水産がプロセスセンターから刺身を供給するのを狙っているタイプの店であるはずだと思ったのだが、このように小さな店の狭い魚売場でも裏貼りシールが貼られた刺身は非常に少なく、これはどうしたことだろうと不思議に思った。
この店ではヒラメの刺身が売価780円のお買い得サービス品として売られていたので購入することにした。東信総本店では980円の売価がつけられていたので200円安かった。
同じように、この日最後に訪問したピーコックストアアルトナーレ日本橋浜町店では、以下の画像の刺身盛り合わせ7点盛りが798円でおすすめ品として販売されていたので購入した。この刺身盛り合わせは7点盛りといっても、いわゆる筆者流に表現すると筆者が20年以上前に自ら造語した「ミニマム刺身」というやつであり、小さく切った刺身が少しずつ多くの種類入っていて、数多くの種類の刺身を色々楽しめる刺身盛り合わせである。これは総本店など他の店では1,080円の売価がつけられていたので、確かに定番品と比較すればおすすめ品になるのかもしれない。
この二つのお買い得品は両方ともプロセスセンター製造刺身の証明である裏貼りシールが貼られていたが、他にも共通するものがあった。それは刺身トレーの中にある木目の舟である。
これは何を意味しているかと言えば、ボリュームがない刺身を大根のツマでボリュームがあるように誤魔化すことが技術的になかなか難しい商品には、トレーの中に幅の狭い舟を入れ、敢えてトレーに余分な空間を作っている。そして狭い舟の中に刺身を入れることによって、刺身がトレーの中で遊んで貧相な印象とならないようにする工夫しているのである。また、舟はトレーの横幅とほぼ同じサイズなので、大根のツマや刺身がトレーの中で動くことを防止することにも役立っており、舟は一石二鳥の役目を担っているのだ。
それにしても、ヒラメ刺身の定番売価は980円、ミニマム刺身盛り合わせの定番売価は1,080円であり、そのボリュームの割りに売価は高く、特にこのヒラメ刺身は「こんな柔らかいヒラメ、今まで一度も食べたことがない・・・!」と妻が絶句するレベルだから、そのコストパフォーマンスは非常に悪いとしか言いようがないと感じた。
40年後の今は上手くいくのか
40年前の福岡ではプロセスセンターの運営に失敗したが、現在の東京では上手くいくのだろうか。40年前と大きく違うことは水産物の物流機能である。刺身用の生サーモンがノルウェーから日本に空輸され、これを冷凍せず生の刺身で販売することなど当時は存在しなかったし、そんなことが可能になるとは想像することもなかった。また水産物は卸売市場を通して店に入ってくるというのが常識だったから、今のように市場外流通が盛んになり、全国の漁港からその日の内に県外の消費地小売店に生魚が入荷するというスピードもない時代だった。更に現在は冷蔵や冷凍の科学技術も格段に進歩しているので、コールドチェーンとして鮮度維持のための能力も隔世の感がある。
これらの水産物を取り巻く環境の変化を上手く取り込んでいけば、わざわざインストアで刺身を作らなくてもプロセスセンターという工場で製造した刺身でも充分に商品として通用する時代になっているのかもしれない。確かに「刺身を作る」という段階までは、間違いなく40年前とは比較にならないほど、科学的な進歩を含めて水産物を取り巻く環境は良い方向へと進化していることは認めよう。
しかし、製造された刺身を店で販売する段階での環境はどう進化しているのだろうか。この点については昔と比べてそれほど大きな科学的進歩があったとは思えない。プロセスセンターから納品されたアウトパック刺身を効率よく高回転で売り切ることができる画期的な科学的手法というのを筆者は今のところまだ知る機会がない。
仕入れた商品を値下げや廃棄することなく売り切るというのは昔も今も簡単なことではなく、普通はリードタイム的に翌々日に入荷するアウトパック刺身を前々日に的確に予測して発注するのは難しく、夕方のお客様にはごめんなさいと言うしかない「売切りご免商法」によって最低限ギリギリの数しか注文しない限り、それなりの値下げや廃棄のロスを避けられないのだ。
アウトパック刺身を販売する店の担当者は、いかに的確な発注をおこない、いかにして値下げや廃棄をおこなわなくて済むかにすごく頭を使っていて、刺身が製造されて何時間経過しているから美味しくないとか、これはまだ充分に美味しい刺身だ、などという判断は自分で作っていないから出来るはずもない。
つまりアウトパック刺身というのは販売担当者が自分で作った刺身ではないので、その商品が美味しいのかとか鮮度が良いか悪いかなどを知るのも難しく、刺身の鮮度や美味しさという観点より「発注数とロス率」の方に大いなる関心があり、アウトパック刺身は生鮮食品と言うよりも加工食品といったほうが相応しいのである。
人材の枯渇
東信水産においても、このようなアウトパック刺身を売ること自体に大きな抵抗感がある人々が存在していることは間違いないようだ。その典型的な例と感じられる現象を小田急百貨店新宿店にテナントで入っている東信水産の魚売場で見ることになった。
小田急百貨店新宿店の東信水産魚売場を視察したところ、プロセスセンター製造刺身の証である裏貼りシール商品がほとんどないのである。貝刺身セットやミニマム刺身盛り合わせは少しだけ確認できたものの、他は全くと言って良いほど存在せず、筆者は昔からの職人さんがなかなか本部の言うことを聞かず、意固地になっているのではないかと想像することになった。
たぶん筆者もそこにいたら、その同類として数え上げられるに違いないが、これは人によって魚屋の商売をどういう風に捉えるかによって違ったものになるであろう。東信水産織茂信尋社長はその経歴を見ても東京工科大学応用生物学部から大学院へと進み卒業された典型的な頭脳派エリートであり、こういう知能指数の高い人物がまともに水産業のことを考えると、本に書かれているような結論に至るであろうことは容易に想像がつく。なぜなら筆者が30年強にわたり水産コンサルタントを続けてきたなかで、織茂社長のように高度な知能レベルはなくても、言わば頭脳派に分類される頭の良いお利口さんは大体似たような発想と結論に至ることは、これまでもそういう頭の良い社長や役員などの経営者層に数多く出会い、そのような考えを聞く機会があったから体験的に良く分かるのである。
いわゆる頭脳派経営者が科学的に計算を突き詰めた商売というのは確かに目先の5年や10年は数字の好転によって、当面会社は良い結果をだしていくことはできる。ところが、逆の思わぬ事態に慌てる状況にも遭遇することになるのだ。
それは「人材の枯渇」という企業にとって致命的な問題である。
筆者は企業としてプロセスセンター方式を徹底していくと人材が育たないと感じている。
このことについて、少し回りくどい説明で申し訳ないが・・・、スーパーの魚売場は「料亭や高級和食店などのようなレベルを目指す必要はない」という考えを持ったスーパー経営者が魚売場のレベルを貶めていったと思っている。つまり「そこまでは必要ないだろう」という上昇志向に蓋を被せたような発想がスーパーの魚売場レベルをどんどん凋落させていったのである。
筆者は昔から関東地域のスーパーの魚売場は何て魅力がないのだろうと思い続けてきた。そんなスーパーの魚売場の不甲斐ない状況に目をつけ、水産物販売のシェアを奪い売上を伸ばしてきたのが東信水産を含む魚屋企業として名高い北辰、魚力、角上魚類などの鮮魚小売企業である。
スーパーの魚売場が、そこまでは必要ないだろう、このレベルで良いだろう、そんな品揃えは難しい、といった自らに課した低いレベルの範囲の中で商売をしようとしたことによってお客様からそっぽを向かれ 、その反対にもっともっと魅力的な魚売場を作るために品揃えを良くしていこうと努力してきた魚屋企業にスーパーは差別化されていったと考えている。
その事象を典型的に表しているのが「魚屋鮨への取り組み姿勢」である。筆者が関係する企業では既に魚屋鮨が水産部門の中でクラス別売上げナンバーワンとなっているのが普通であり、刺身クラスの売上の方が鮨クラスよりも上位にある企業はまだ魚屋鮨の売上強化に本気で取り組んでいないからだと見ている。
今や魚屋鮨は水産部門の売上と利益を支える屋台骨と言っても過言ではない位置づけにあるにも拘わらず、関東地方や東日本・北日本地域のスーパーが魚屋鮨にあまり本気で取り組まず、店として既存の惣菜寿司レベルの品揃えで茶を濁している現実を見ると、何て保守的で進取の気性に欠けているのだろうと呆れることが多々ある。つまり、スーパーの魚売場を本気で何とかしようという気概に欠けているから魚屋企業にシェアを奪われっ放しになっているのだと思う。その結果水産部門の売上構成比は下がり続け、店内のお荷物的な扱いの部門となっていき、やることは全て縮小再生産トレンドに陥っているのである。
そんな会社の魚売場で有意な人材が育つはずがない。同じようにプロセスセンター方式を執る小型店の魚売場などでは、面倒なことは店でやる必要はなく、プロセスセンターが集中的に合理的にやってくれるので店では発注作業プラスアルファの仕事で済むことから、魚の奥深くて面白い世界を知る機会は奪われてしまうことになるのだ。
例えば技術訓練の機会として、プロセスセンターで魚を調理したり、刺身を引いたりすることを繰り返し、そのことがどれだけ上手になっても、それは単なる技術職人のレベルが高度に熟練されただけであり、そのことだけで有能な人材と評価することは難しいと考える。
魚売場の人材とは、水産業界で扱う何百種もの魚に接し、出来るだけ多く調理することでその特徴を知り、それらを商品化することで魚種別の身質を理解し、様々な魚を食べることで味を覚え、季節を追いながら旬魚を仕入れ販売することで扱い方や販売方法を学び、そして魚を商品として売場に陳列し、それらを売り切って利益を出す難しさを経験する、といったことを何年も繰り返し、その経験値を魚を扱う人材としての血や肉としていく、そのようなことがそれなりに出来るようになって初めて魚売場の人材と言えるのである。
そんな有能な人材は促成栽培のように直ぐに育成できるものではなく、少なくとも何年や何十年もの期間が必要である。魚のことを誰よりも多く知っていて能力のある人材というのは、それなりのやりがいのある仕事を求めるものであり、必ずしも簡単で楽な仕事だけを欲するものではないと思う。本物の有為な人材は仕事で達成するレベルも高いはずで、低位なことに安住するのではなく、今よりもっと高い位置の高位なことを求めて職場を変えることさえあるに違いない。
有能な人材が数多くいる店は競争力がある。プロセスセンター方式などの仕組みがあるおかげで、人に高い能力を求められない場合は総じて競争に弱く、有能な人材を抱える店には太刀打ちできないことが多い。プロセスセンター方式は目先の利益は残してくれるかもしれないが、それとは逆行するように5年先10年先には人材のことで悩むことになるかもしれないリスクを抱えているのだ。
「仕組みよりも人材」
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水産コンサルタント樋口知康が月に一度更新している
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更新日時 令和 3年 9月 1日