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平成28年 4月号 148-2
ミンク鯨赤身の刺身&にぎり鮨
クジラは全身のほぼ30〜40%が赤身であり、その身は筋肉が引き締まって固い歯クジラよりも、比較的柔らかい身質を持つヒゲクジラの方が美味しいということであり、中でもミンククジラはヒゲクジラの中では最高に美味しいとされている。
そのミンククジラの赤身11kgはド〜ンとひと塊りの形で入荷し、これを以下のような工程で商品化していった。
ミンククジラ赤身の冊取りと刺身工程 | |
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1、氷水から取り出したままの赤身ブロック | 5、更に二つ目の筋に沿って二つに分け、筋を除去 |
2、大きな筋に沿って包丁を入れ、二つに分離する | 6、長さ30p前後、幅は8p弱くらいで切り分ける |
3、分離した身から筋引きの要領で筋を除去する | 7、筋のない部位は厚さ5pほどの間隔に切り分ける |
4、30pくらいの長さに冊取りする | 8、板状になった部位を短冊状に切り分ける |
ミンククジラ赤身の薄造り刺身 |
一般的に国内で販売されている冷凍赤身クジラを解凍した時は激しいドリップで悩まされるのが普通だが、このドリップの原因は1988年に建造された捕鯨母船日新丸の冷凍設備が旧式で古い設備のままであることから生じていることが多く、今回のように鮮度の良い生クジラの場合はドリップがほとんど出ることない。
今回の生のミンククジラ赤身を短冊で商品化する際に廃棄したのは、一部の筋を少し除去するだけだったので歩留まり率はほぼ95%以上だと見てよく、このミンククジラ赤身の仕入れ価格は1,600円/kgだったことから短冊商品の売価は298円/100gに設定して販売した。
上の左画像はその時の販売状況だが、右の画像はあるスーパーの冷凍コーナーで販売されている冷凍赤身クジラであり、このアイスランド産ナガスクジラ赤身は真空袋に入れられて480円/100gの売価がつけられていた。
冷凍赤身クジラを販売していた店は高級スーパーではなく、どちらかと言えば安さを打ち出している店であり、そのような比較的安い売価をつける店でも外国から輸入した冷凍クジラをこんなに高い売価にしているのだから、この事実が現在日本においてクジラ商品がいかに高い価格の高級品になっているのかを象徴的に表している。
このようにクジラが高くなってしまった要因というのは、1982年の国際捕鯨委員会(IWC)で「商業捕鯨モラトリアム(一時停止)」が採択され、IWCが指定する15種類のクジラについては商業捕鯨ができなくなり、国内市場では日本が実施している調査捕鯨で捕獲された僅かなクジラが払い下げられて流通しているものを頼りにしているからであり、クジラはこの現実が示しているように店頭での売価が高いために、今や日本人が滅多に口にすることのない高級食材の仲間入りをしているのである。
高い価格がネックとなって日本でもこのところあまり売れなくなっているクジラ肉は国が払い下げをしてもそれが売れ残ることもあるようだけども、財団法人日本鯨類研究所は年間60億円もの捕鯨費用をまかなうという理由でクジラの払い下げ価格を安くすることはできず、「クジラの流通量を増やしたいけれど価格は下げることはできないし、家庭の毎日の主要食材として利用を促進する程の量は元々ないので派手に消費を宣伝するわけにもいかない」という複雑な状況にあり、結局小売店頭の価格は払い下げ価格の3倍にはなっていると言われている。
今回筆者は自分自身も長いこと口にすることのなかったクジラを改めて料理として見直してみようと考え、昔から西海捕鯨の基地として有名な長崎県平戸市生月島を訪ね、本場のクジラ料理を堪能すると同時に生月島の博物館「島の館」を見学してクジラの見聞も深めることにした。
江戸時代の昔から平戸藩の鯨組であった生月島の益富家は、西海捕鯨で莫大な富を得たことで有名であり、筆者はこの益富家のクジラ基地があった生月島でクジラ料理を食する計画をしたのだが、クジラに関しては他と比べようもないほど長い歴史的な生月島のような地であっても、クジラ料理というのは今や風前の灯火のような存在となっているようで、昼の時間帯にクジラ料理フルコースを予約するのに、何軒も電話してやっと1軒だけ予約することができたというのが実態であった。
何とか予約を受け入れてくれたのは割烹旅館「山屋」であり、それは「クジラざんまい」コースで一人4,000円からという決して安くはない料金だった。
クジラざんまい料理 | |
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赤身と皮の煮付け | アオサ入りクジラ赤身味噌汁 |
赤身刺身・ベーコン・百尋・黒皮 | クジラシュウマイ |
赤身炙りにぎり鮨 | 赤身竜田揚げ |
さらしウネスのハリハリ鍋 |
食後の感想としては「なかなか美味しかった」というのが率直な意見であり、同行した八歳年下の妻はほとんどが初めて食べるものばかりだったようで、クジラ料理の味にも良い印象を持ったようなのだが、このことは結婚して38年になる夫婦の間でクジラ料理がその間に一度も家庭で出されたことがないことを図らずも示しており、この事実は筆者の家庭事情が特別なものなのではなく、やはり他の一般家庭でもやはり同じようにクジラを食べない生活が普通になっているのだろうと思われる
クジラ料理を堪能した後に、生月島の博物館「島の館」物販コーナーで「松浦漬」をお土産に購入したが、これは佐賀県呼子町で生産されている蕪骨(カブラボネ)を粕漬けにした缶詰であり、これまでに何度かお土産としていただいて食したことがあり、こういう希少な珍味の方が他のクジラ料理よりも食べる機会が多かったというのは、自分のことではあるけれども実に変な話だと言わざるを得ないと感じた。
今回筆者はミンククジラを扱うことに触発され改めてクジラに関することをそれなりに勉強してみると、このままではこの先日本から「クジラを食べる食文化」が消えていってもおかしくない状況にあるということを感じることになった。
地球上の人口が増え続けているなかで、この先食料の確保は人類の最大の課題となっていくと考えられ、世界の穀物の主体となるトウモロコシの年間消費量は75,900万トン(2007年FAO資料)であり、その内の64%が牛や豚などの家畜の餌となって畜肉の生産に当てられているということであり、2007年に畜肉生産量が9,600万トンあったのが2019年には1億1,900万トンに達すると見られていて、そして畜肉の生産には「その10倍の飼料穀物と100万倍の水が必要」と推測されているのだ。
いっぽうクジラというのは、エサも与えずに海で捕獲するだけで鯨肉として人間の胃袋を満たすことができる存在であり、しかもクジラから排出された糞尿も自然のサイクルの中に還っていくという環境に負荷のない自然に優しい食料であり、そのクジラは全世界の海にミンククジラだけでも76万頭、マッコウクジラは何と200万頭いるとされていて今もその数はどんどん増え続けているのである。
そのクジラは鯨肉として活用できるにもかかわらず、世界は商業捕鯨モラトリアムによって捕獲を停止し野放し状態にしているだけではなく、実はそのことだけが問題なのではなく現在さらに大きな問題となっているのは、クジラが信じられないほど大量の魚を食べてしまうという事実である。
クジラは平均的に「1日に体重の3%相当の魚介類を食べる」ということであり、年間に換算すると体重の10倍もの魚介類を捕食しているという計算になり、魚の捕食量をクジラ全体に重ね合わせてみると2億4,000万トンから5億トンとなり、現在人間が1年間で世界中の海で漁獲している魚の量が9,000万トンであるから、クジラは世界の人間が食している魚の量の3〜5倍の天然の魚を食べているという計算になるのである。
そしてこれまでの常識としては、ヒゲクジラの仲間はプランクトンやオキアミなどの海洋微小生物だけを食べていると考えられてきたのだが、それは南氷洋だけに限ってのことであって北西大西洋で捕獲されたミンククジラの胃の中からは、以下の画像にあるように大量のサンマ、イカ、サバ、スケトウダラなどが出てきて、人間が食べているのと同じ魚を大量に捕食していることが判明したのである。
人間の過剰な保護となっている「商業捕鯨モラトリアム」によって海洋生態系のバランスを崩しつつあるようであり、データを見比べるとクジラ類が増加してきた時期と海洋資源の漁獲減少の時期とはほぼ一致しているということであり、このままクジラの増加を放置したままにしておくと「人間とクジラの魚の争奪戦」に人間が負けて、この先食べる魚が大きく減少してしまう事態も考えられないことはないのである。
現在ミンククジラは世界中の海に76万頭以上生息し、ほぼ年間4%程度で増加していることから理論上では1年で15,000頭を捕獲しても問題ないと言われており、今回筆者のクジラの勉強において資料として色々と参考にさせていただいた著書「日本の鯨食文化」を著された小松正之氏によると、「ミンククジラを年間4,000頭(2万トンの鯨肉生産が可能)の持続可能な商業捕鯨を再開すべき」と主張されている。
筆者は小松正之氏の本から多くのことを学ぶことが出来たのだが、「日本の鯨食文化」に記されている以下の文章は筆者が自分なりに解釈して別の表現で記述するよりも、小松氏の文章をそのまま記載するのが適切だと思ったので以下にこれをそのまま転載をさせていただくことにする。
「早晩破綻する畜肉食文化」: 小松正之氏 人間の飽くなき欲求を満たすために、拡大基調を続けられなくなる日が早晩畜産業界にも到来するであろう。ウシはBSE、ブタは豚の口蹄疫やトンコレラ、トリは鳥インフルエンザなど、「肉」を食べるということにはそれこそ重大な問題が横たわっている。同時にその問題の一つ一つが深刻であり、解決には犠牲と負担を強いられることになる。 たとえば、飼育している動物の感染症を防ぐために膨大なコストを負担しなければならないし、いざ感染症が発生するやまたたく間に飛び火して数十万頭単位で殺処分しなければならなくなる。さらにはその後の再建も風評被害を中心として、血のにじむような努力を強いられる。根本的に「陸」の上で何かの飼育を続けていくためには、有形無形の費用がかかるということなのだ。 早晩、世界の畜肉市場が行きづまり、その補完を天然の食料である鯨肉が担う時代がやってくる。わたし自身、多くの畜産農家との出会いにも恵まれることが多く、切実にその業界の発展を願うからこそ、何より畜産業が中長期的な構造改善を図ることが重要であるとも考える。しかし、鯨肉や水産物が果たすタンパク質供給という役割は、ますます大きくなったと言わざるを得ない。 |
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このように小松氏は記されているが、この文章は非常に考えさせられる深い洞察がある。
世界を見回すと、何とも不条理なことが大手を振ってまかり通ることが決して珍しいことではないけれど、クジラに関する「商業捕鯨モラトリアム」もその最たるものの一つではないかと考える。
以前 FISH FOOD TIMES では、 No.85「クジラ・中トロ入り鉢盛り」(平成23年1月号) の中で、別の観点からクジラのことを記述していたので読者の皆さんはこちらも是非覗いてほしいが、そこにも記しているように昔鯨油を取るためだけにクジラを殺していた欧米諸国が、今度は「クジラを殺すのは可哀想」という感情論で日本の捕鯨を禁止させるという「不条理な論理の飛躍」にはとてもついていけるものではない。
こういった飛躍した論理をいつまでも押し通し続けられるはずはなく、小松氏が述べられているように世界もいつかは陸上の生物だけでは解決できないほどの食料危機が迫ってくると、全く違った論理の展開で自分たちの正当性を主張し、人類の食料源としてクジラを捕獲せざるを得ないようになるのではないかと思われる。
その時がいつになるのか分からないが、その時のためにも日本は歴史あるクジラの食文化を絶やさないようにしていかなければならないと考える。
現在日本においてクジラを珍味として高級品扱いするような今の流れは変えていくべきであり、そのためには理不尽な論理を振り回す欧米諸国のワガママを黙って聞くだけではなく、日本は歴史あるクジラの食文化を持続するためにも商業捕鯨の復活が実現するよう努力していくべきである。
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更新日時 平成28年 4月1日