ようこそ Fish Food Times へ
The Fish Food Retail Net
新年明けましておめでとうございます。 Web.版 Fish Food Timesは、いよいよ8年目に突入しました。 今年も読者の皆様にとって、何か一つでもお役に立てることがあればとの思いで 毎月更新を重ねていきたいと思っています。 さて、1年の始まりである正月に今年の仕事にかける思いを聞いていただきたく 文章を書いてみましたので、時間が許す方はこちらも覗いて頂ければ幸いです。 今年も1年間、ご愛読の程よろしくお願いいたします。 |
今年度、水産部門の指導にあたって 「魚売場は、対面販売が・・・」 |
平成23年 1月号 No.85
くじら・中トロ入り鉢盛り
お正月のお祝いの席に、こんな鉢盛りはどうだろう。
本マグロの中トロと、鯨の畝須(ウネス)がメインにド〜ンときて、アワビあり、サザエあり、更にはズワイ爪に、ボイル有頭エビ、この他の、マグロ赤身、アトランサーモン、カンパチ、真鯛、ホタテ貝柱、水イカ、甘エビで、合計13点盛りである。 刺身盛合せというよりも、オードブル感覚を強めた商品である。
実をいうとこれは、一昨年2009年にある会社で商品提案をし、残念ながら計画通りの売上とならず、昨年はこの方向性の商品規格は「お蔵入り」となってしまったものである。いわゆる「ボツ」になった商品なのだが、なぜそんな商品をここで取り上げるのか、と疑問を抱かれる方もあるかと思う。
月並みな表現になるが、やはり新たな商品開発というのは、そんなに「簡単に諦めるものではない」ということを言いたいのである。失敗したからといって、新たな試みを直ぐに諦めるのではなく、なぜ計画したように売れなかったのか、その原因はどこにあるのか、商品の企画段階から振り返り、その失敗要因を突き止めるべきだと思う。失敗を乗り越え、これを肥やしにして、次のステップへと進まなければ、他社とは違う差別化商品というものは開発出来るものではないだろう。
この商品が他の商品と違う視点というのは、刺身鉢盛りというのが必ずしも「生」である必要はあるのか、という商品特性の位置づけに関する問いかけである。刺身なのだから「飛びっきり鮮度の良い生魚」であって欲しいというのは、言わば誰もが考える「常識」の範疇であって、何も珍しいことはない。
その中に、例えばボイルした魚が入ったら変なのか・・・。そもそも、このような商品を思いついたきっかけは、鯨の畝須が入った鉢盛りを食べてみたい、というある人の一言からだった。その言葉に「それは面白いッ・・・」と、その希望的発案に直ぐに飛び乗ってから、畝須をいれるのであれば、こんなものも入れたらどうか、あんなものもどうか、というように発想が肥大して、ズワイ爪や有頭エビなどのボイル商品まで、入り込んできたことで刺身鉢盛りからズレてしまったのかもしれない。
巻頭写真の中の鯨の畝須はボイルしたものを使っているが、基本的にこのボイルものが一般的であるが、中には生の畝須というのもあるらしい。その辺の鯨と鯨商品の知識に関する情報は、ネット上で幾らでも調べられるので、以下のようなホームページを参考にしてほしい。
この紙面上では、付け焼き刃的な鯨の知識を講釈するのはやめておこう。食べることを前提として鯨のことを少しでも知りたいのなら、上記のホームページを覗けば、良く理解出来ると思う。
皆さん方の中には、鯨を食べるということに関して、世界の動きからすると、何か後ろめたいものを感じる方もいらっしゃるのかもしれない。なぜ鯨を食べるために捕獲するのだとの欧米からの反対意見や、南極海での日本の調査捕鯨船団と反捕鯨団体シー・シェパードとの衝突の映像は、まだ皆さんの記憶に新しいのではないかと思う。しかし、歴史を紐解くと今では考えられない意外な事実を知ることができる。
1853年にペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航して日本に開国を迫り、1854年には日米和親条約を結ぶことになり、日本は新しい時代に突入したのだが、この開国を迫った理由は、当時日本が鎖国をしていたので、アメリカの捕鯨船が緊急避難先や補給基地として寄港出来なかったから、その不便を解消するために開国を迫ったのだった。
この当時のアメリカは、エネルギー源として鯨の油をおおいに利用しており、700隻近くの捕鯨船を保有し、世界で一番鯨を捕獲していたのだ。特にランプの照明用として使う「鯨油」は当時の必需品だったので、その捕鯨船は鯨の脂だけをとって、残りの肉はすべて捨てていたのである。
1850年代には大西洋やインド洋での鯨資源が枯渇し始めたため、今度は太平洋にも進出し、日本の近海で盛んに捕鯨を行っていたということだ。当時鯨油はランプの照明用だけでなく、石鹸や機械の潤滑油としても使われ、産業革命にはなくてはならないものだったようである。
ところが、1859年にエドウィン・ドレークによるアメリカでの石油採掘成功で、石油産業が幕開けしたことで鯨油に依存する構造は衰退し、そこから捕鯨産業も後退し、石油産業が隆盛していくことになったのである。そして今度は手の平を返すように「鯨の油しかとらず、後は捨てる」という、過去に自分たちがやってきた酷い無駄なことは棚に上げてしまい、「神聖な動物である鯨」を殺してはいけないなどと宣うことになっている。
ところがそんなアメリカと比べて日本の場合はどうだろう、鯨油はもちろんだが、この他に肉だけでなく、皮も内蔵も、そして骨まで、余すところなく、その全てを使い切ってきた歴史があるのである。その使い方の内容については、上に紹介した鯨食ラボのホームページの中の、「鯨肉について」のページをご覧頂ければよく理解していただける。
鯨を十全に活用せず、鯨資源が枯渇するようなことをやった過去をもちながら、今度は必要性がないとなると、昔から鯨の全ての部位を大事に活用し、言わば食文化としての歴史を持つ、日本の鯨食文化を壊そうとしているのである。
IWCという国際会議で、資源枯渇を理由に15種の鯨が捕鯨禁止となっているが、調査捕鯨の結果によると、南極海にはミンククジラは72万頭いると推定され、北西太平洋の同じミンククジラは、確実に2万5千頭はいるとされており、南極海のミンククジラは毎年2,000頭捕獲しても、100年は大丈夫ということだ。
このように一部では資源回復が遅れているというナガスクジラ類を除いて、鯨の資源量は充分に回復しているどころか増え過ぎたようで、その結果として、人間と鯨の間で魚の奪い合いになっているとも言われている。鯨というのは魚を食べるのだが、魚だけでなくプランクトンを食べる鯨もいて、鯨は魚を食べる「歯クジラ」と、主にプランクトンを食べる「髭クジラ」に分れる。
生物学的に言うと、クジラ目はヒゲクジラ亜目とハクジラ亜目の二つに分けられ、口の中に「ひげ」を持つヒゲクジラ亜目としては、ナガスクジラやザトウクジラ、コククジラ、ミンククジラなどがいて、
口の中に「歯」を持つ歯クジラ亜目は、シャチ、マッコウクジラ、バンドウイルカ、スナメリなどである。
このように実はあの可愛いイルカも「クジラ目」というグループであり、その大きさで呼び分けられていて、体長が4m以上になるものを「クジラ」それよりも小さいものを「イルカ」と呼び分けられているのだ。
上記したように、体長10m、体重7トン前後と比較的小型のミンククジラと、体長25m、体重150dにもなるシロナガスクジラとは同じヒゲクジラ類であり、シロナガスクジラやナガスクジラの資源がなかなか回復しないのは、ミンククジラが南極海で72万頭とあまりにも増え過ぎたために、ナガスクジラ類に充分エサが回らないようになったからだとも言われている。
現在日本国内のクジラの年間消費量は、年間5,000d程度であり、これは馬肉の三分の一程度と、まさに「鯨の食文化」は風前の灯となっている。
また、生産量と価格は鯨食ラボの資料によると、以下のようになっている。
生産量は調査捕鯨開始当時よりも少し増えているが、価格は下がり続けている。昭和37年に、22万6千dもの生産量があった時と比べると、最近の生産量は本当に微々たる量でしかないのが理解出来る。表の価格は卸し段階の話であって、末端売価はそれほど下がっている感覚はない。
売れないから高いのか、高いから売れないのかは解らないが、kg当りで2,000円前後の卸価格というのは、水産物では高級魚である。調査捕鯨という名前の通り、商業捕鯨とは違う目的のものなので、おおっぴらに販売促進出来ないことから、わざと卸価格を高くしているのだろうか。
世界的な人口増加による、未来の食料確保の危険性が叫ばれている中、鯨のような天然の食料資源を野放しに放置するのはもったいないことだと思う。増え過ぎた大食漢である鯨と、これも更に増え続けている人間が、「魚を奪い合う」という構図が現実味を帯びてきたようである。鯨類を種族維持に可能な適正規模に保っていける「商業」捕鯨は、魚資源の「維持」のためにも必要ではないだろうか。
水産物としての「鯨」を、水産商品としてもう一度見直してみたいものである。
更新日時 平成23年1月1日 |
ご意見やご連絡はこちらまで info@fish food times